
Q&A を斬る

Q&A - 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制
- 5 他の国にもあった? を斬る
2014.06.04 「 韓国軍慰安婦は、日本の所為 」 という妄言に反駁を追加。
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引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=166 (なお魚拓は無効な構造です)
↓ ↓ ↓
発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却
への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー
が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。
0-5 他の国にもあった?
http://fightforjustice.info/?page_id=2425 ( 魚拓 )
以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責
任』からの“引用”です。
Q&A編 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制
5 他の国にもあった?
ほかの国の軍隊にも日本軍慰安所と同じようなものがあったので、
日本だけが悪いわけではないという言い方をする人たちがいます。 はたしてそうでしょうか。
第1に、一般に軍がそうした女性に性病検査などをおこない、統制するのは
将兵の性病予防が理由です(効果があったかどうかは別です)。
しかし日本軍の場合、「慰安婦」導入の大きな理由が、
日本軍将兵による、中国の地元女性に対する強かん事件がひどかったことです。

ソース出せ、ソース。
まさか中帰連のアレを一級史料だなんて言い出さないよな。
アレに関しては、ほれ。

wikipedia「BC級戦犯」
http://ja.wikipedia.org/wiki/BC級戦犯 - 中華人民共和国による裁判
> 中華人民共和国による裁判
>
> 全3裁判、被告総数46人(但し判明分のみ)。
> 戦犯容疑者は処罰されるよりも「認罪学習」を受けることがおおかった[19]。
中帰連の人達は、裏付けのない日本軍の犯罪を白状し、詫びて反省することで、拷問死を逃れられ
た人達なのですから、彼らの証言に信憑性なんかビタ1ミリありません。
というか、アレが史実だとすると、アレの表に書かれた被害者数 ―― 「数人」と「余」を5,「多数」を
10,「数十」を50と仮定した場合に成る総被害者数 ―― 845名(!)にも及ぶ強姦と殺人の罪が「認罪
学習」で赦された事になります。
幾ら何でも嘘臭いというレベルではありません。 完全に嘘です。
裏の取れた信用に足る史料を出しなさい。
ちなみに。
その支那大陸に慰安所を設置するように働きかけた岡村寧次大将が見た「中国の地元女性に対す
る強姦事件がひどかった」は↓このレベルでした。
wikipedia「慰安婦 - 5.2 上海事変以降
http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 - 5.2 上海事変以降
> 上海事変以降
>
> 第一次世界大戦で連合国軍として勝利した日本は、
> 中華民国に対して対華21カ条要求を要求、日中関係は悪化した。
> 1931年、満州事変が勃発し、翌1932年には上海事変が発生、
> 日本軍専用の初の慰安所が上海に設置され[249][250]。
> 岡村寧次大将は強姦対策として慰安所を創設した[251]。
> しかし慰安所を造っても強姦は跡を絶たなかった[252][253][254][255][256]。
>
> 昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。
> 斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
> 昭和七年(1932年)の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、
> 派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して
> 慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
> 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている
> 有様である。
> 第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。[257]
彼の知る範囲で二、三の強姦罪が発生したのである。
満州国全体で幾つ発生していたのか分からないが、大将の目が届く範囲、および大将に届く部下か
らの報告全ての中で二、三である。 平時でないことを考えれば、恐ろしく少ないと捉えるべきであろ
う。
そして慰安所を作ったから強かん事件が減ったのかと言うと、逆でした。
慰安所は前線まで十分には設置されなかったため、末端の部隊では女性を拉致してきて
監禁強かんをする慰安所もどきが作られ、あるいは慰安所に行くとお金がかかるが
強かんならタダだと強かんを促す要因にもなりました。

日本軍が敗戦し解体された後に、それを本当にやった軍隊がある。
ベトナム戦争に参戦した韓国軍だ。
そして、ライダイハンと呼ばれる大量の私生児をベトナムに残す結果となった。
wikipedia「ライダイハン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン
> ライダイハン(越:Lai Dai Han、ライ大韓)とは、
> 大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による
> 現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。
> パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、
> 「敵軍の子」として迫害された[1]。
2013/10/08 子供には読ませられないブログGIGO
ライダイハン Raittaihan 韓国軍の戦争犯罪 大虐殺と強姦
http://japan4war.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
《前略》
>
> 日本軍の兵が米兵を殺したことは誇大に報道するが、実際は米兵が遊び半分で
> 日本兵を虐殺していた事実がある。
> たとえば、輸送船が沈められ漂流している武装していない日本兵達に対して、
> 米軍は艦上からゲームの様に機銃掃射して漂流している日本兵を虐殺した。
>
> そして戦闘機も、同様に機銃掃射して、弾が切れると基地に戻り、わざわざ戻ってきて
> 機銃掃射するといった遊びを繰り返し、日本兵を虐殺した。
>
> 「 捕虜に食わせる飯より、弾の方が安い 」 マッカーサー
>
> 助けて捕虜にすると、日本軍のように自分達の食料まで削るハメになる
> 米軍は必要数しか捕虜を取らず、大半は虐殺して食料が減るのを抑えるのだ。
> 必要数の捕虜というのは、拷問して情報を聞き出す目的である。
>
> これは大東亜戦争(太平洋戦争)も越え、ベトナム戦争でも繰り返された。
> ベトナム戦争ではさらに残忍な民族である韓国人が米軍の同盟として参戦したため
> 強姦・虐殺・略奪、村の消滅が相次いだ。
>
> そう、ココで産まれたのがライタイハン
> 韓国軍人とベトナムの女性の間に産まれた大量の混血児
>
> 多くの女性は強姦した後に虐殺されたが、生き残った女性もいて出産している。
>
《中略》
>
> Lai Dai Han
> Raittaihan
> ライダイハン
>
> 韓国軍兵士に強姦されて生まれたベトナムの子供(韓国の精子「敵軍の子」として)
> 忌み嫌われ迫害される子供たち。
>
> その数3万人
>
> 韓国内では一時騒ぎになったが、2009年にフィクションドラマを作成し
> それを機に、忘れ去られた。(終わらせた)
>
> 大韓民国(以下、韓国)が米国の同盟軍としてベトナム戦争に参戦した。
> 彼らは戦後、長年「英雄」として扱われていた。
>
> その「英雄」が語ることが出来なかった戦争犯罪がある
> 「軽蔑(ライ)+大韓民国(タイハン)」という名前を持つベトナムの子供たち。
> (この造語については、後述します)
>
> 韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、
> 韓国軍の従軍慰安婦として強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり、
> ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた韓国人との混血児などを総称して
> 「ライタイハン」といいます。
>
> 韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は
> 両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり
> 殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」と彼らが呼んでいる
> 強姦・虐殺をしたり、川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースも
> ある。
>
> そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として
> 韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。
> 弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。
>
> 韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。
> これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。
>
> その為、ライタイハンはベトナム人の美人女性の遺伝子を受け継ぐ
> 美人が多く、モデルなどで活躍している子もいる。
> もちろん、タイハン(大半)が韓国人のブ男の遺伝子を持つ不美人であることは
> 悲しい事実である。
>
《後略》
つまり、もしサヨクの主張通りにWWU当時の日本兵が、末端の部隊では女性を拉致してきて監禁強
姦をする慰安所もどきを作ったり、あるいは慰安所に行くとお金が掛かるが強姦ならタダだと強姦を促
したのであれば、今現在、中国や南北朝鮮の国内等にライダイハンの日本verであるライニャッバンが
大勢いるハズです。
しかし、そんな存在はいません。
この事実が、日本軍兵士の大多数が強姦という罪を犯さなかった事を証明しています。
第2に、もっと大きな違いは、日本軍「慰安婦」制度の場合、
慰安所設置計画の立案(設置場所や必要人数の算定など)、
業者選定・依頼・資金斡旋(業者抜きに軍が直営する場合もある)、
女性集め(朝鮮・台湾や日本本土では警察の協力・身分証明書の発行、
占領地では軍が直接間接に実施または支援)、女性の輸送(軍の船やトラックを提供)、
慰安所の管理(直接経営または軍が管理規則制定、その管理下で業者に経営委託)、
建物・資材・物資の提供(軍の工兵隊が慰安所建物を建設することも)、など
すべての過程において軍の管理下におかれ、あるいはしばしば軍が直接実施していることです。
ここまで完全に軍の管理下におかれているケースは、ナチス・ドイツの例を除いて、
ほかの国ではまずありえません。

へー、ほー、ふーん。

wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
> 大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[18]。
> 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を
> 作成していた[2][3]。
> 部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[6]。
> 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店し
> アメリカ兵も利用した[6]。
>
> 韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[19]に大韓民国の国軍によって
> 強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する目的で強制的に
> 集団的性行為を強要された事例もある。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.1 「特殊慰安隊」
> 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、
> 固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは
> 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と
> 目撃者たちの証言によって裏付けられた[20]。
>
> 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
> 組織的体系的に慰安婦制度をつくった[21][22]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.2 第五種補給品
> 尉官将校だった金喜午の証言では、陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」と
> よばれた[21][23]。
>
> 軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[21][23]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
- 3.3 韓国軍慰安婦の類型
> 金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、
> 昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例も
> あった[21]。
>
> また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[24]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.4 設置理由
> 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、
> これは日本軍慰安婦と同様のものであった[21]。
> 計画は陸軍本部恤兵監室が行い[21]、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を
> 米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[21]。
> 韓国政府・軍は慰安婦に対して
> 「 あなたたちはドルを得る愛国者 」
> として「称賛」されたという[25][9]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
- 3.5 慰安婦の輸送方法
> 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて
> トラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[22][6][26]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.6 設置時期と場所
> 韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
- 3.8 朝鮮戦争時の慰安婦の数
> 総数は不明。 金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。
> なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている。[20]
> 韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』によると
> 韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも
> 89人の慰安婦が204,560回の行為を行わされた[2][3]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊 - 3.9 強制連行
> 韓国軍慰安婦のケースでは
> 韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている[25][2][3][30]。
> 韓国における慰安婦はアメリカ兵に残忍に殺害されることや、アメリカ兵によるとされる
> 放火で命を落とすこともあった[30]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
- 3.10 国連軍による性暴力と強制連行
> 崔吉城は論文「朝鮮戦争における国連軍の性暴行と売春」において、
> 朝鮮戦争時には敵国ではない韓国において国連軍がソウル市北部の村で
> 日中、シェパードを連れて女性を捜索し、発見後に強姦に及んだり、
> またジープにのって民家を訪れ女性を強制連行して性暴力をはたらいたことや、
> 韓国人兵士が韓国人女性に性暴力や性拷問をはたらいたことを紹介している[31]。
> 性暴力をうけたのは女性だけでなく、10歳位の男子がフェラチオを強要され
> 喉が破裂したこともあった[31]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3 朝鮮戦争と特殊慰安隊
- 3.10.1 北朝鮮人女性の強制連行
> 朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は
> 強制的に慰安婦にされることもあった[5]。
>
> 韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた[3]。
>
> 捕虜となった朝鮮人民軍女軍[32]、女性パルチザンゲリラ、そのほかに朝鮮人民軍や
> 中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
> まだ疎開しなかった女性などが、共産主義者を助けたとの名目で強制的に性奴隷にされた。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 4.朝鮮戦争休戦からベトナム戦争まで
- 4.6 モンキーハウス
> 韓国での慰安婦たちの写真や個人情報などはアメリカ軍も管理しており[14]、
> 韓国におけるアメリカ軍相手の慰安婦は性病の疑いをもたれると
> 韓国警察によりモンキーハウスと呼ばれる窓に柵のされた施設に、
> ジープやトラックにのせられ[9]、留置され強制的に薬を完治するまで飲まされること
> となっていた[25]。
> また、性病に罹患した女性達は治るまでの間は強制的に拘置所に隔離されていたと
> 在韓米軍の性病報告に記録されている[36][9]。
> また、病気ではないと証明された場合には犬のようにタグを付けることを強制された[30]。
>
> 韓国におけるアメリカ軍相手の慰安婦達は容易に行為の相手から見分けがつき易いように
> 番号札をつけることを強制されていた[25]。
> また、韓国政府は女性達に韓国を助けるために来た兵士達が満足するように
> 清潔にしなさいと指導した[30]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 5 ベトナム戦争時 - 5.2 韓国の性政策
> ベトナム戦争に参戦するにあたり韓国政府は朝鮮戦争時と同様な「慰安隊」設置を
> 計画したが、米軍の反対に遭い実現はしなかった(駐越韓国軍司令官)。
> このことがベトナムの民間女性に対する強姦事件が多発したことの一因になったとされる[41]。
wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 10 韓国の慰安婦に関する諸説
- 10.1 日本軍慰安所との関連
《前略》
>
> また、「慰安(婦)」という言葉が共通していることなどから韓国軍慰安婦は
> 旧日本軍慰安婦にならってつくられたと考えられている。
> しかし、旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて
> 「慰安隊」として正規の軍組織となっていた点で大きく異なる。
> なお、日本軍慰安婦の場合は公募によるものであり、当時の公務員の平均給与を超えた
> 高額給与が慰安婦に支払われていた(日本の慰安婦参照[20])。
> 韓国系アメリカ人の研究者でサンフランシスコ州立大学教授のサラ・ソー (C. Sarah Soh) は
> 2009年の著書で、慰安婦を「性奴隷」や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確である
> としたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を扇情的に扱い、異論を許さない
> まま「日帝による被害の物語」を国民に押し付け、誤導したと批判している[65]。
> ソー教授は「慰安婦が強制連行された」という物語は陳腐な教義[66]であり、
> 韓国政府の政治戦略的な誇張が慰安婦問題の深い理解とその解決を妨害しているとして、
> 韓国社会が被害者意識から脱却すること、また韓国もまた元慰安婦にトラウマを与えた
> 共犯者であり、慰安婦制度それ自体は戦争犯罪ではなかったことを受け入れるべきだ
> とした[65]。
で、完全に軍の管理下におかれているケースがどうしたって?
この直後のページ [ 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制6 朝鮮戦争とベトナム戦争でもあった
のか? ] で洋公主について、屁理屈を捏ねている位だから、知らなかったは通らないよ。
よくもまぁ、いけしゃあしゃあと書けるもんだな。 感心するわ。
それに、だ。
日本が八紘一宇の精神で日本国土に取り入れるまで、長い間、アジアの国々は西欧の列強国によ
って植民地支配を受けていました。 したがって、日本によって西欧の植民地支配から解放されたアジ
アの人々は、程度の差こそあれ、被支配層・被差別層特有の民度だったのです。
そうした民度の女衒たちに慰安所の設営・管理を丸投げしてしまっては、日本兵の為に慰安所を作
る事が無駄になってしまう。 なぜなら、清潔で衛生的な慰安所の運営が期待できないからです。
慰安所が清潔で衛生的でなくなってしまったら、兵士が現地の民家へ押し入って女性をレイプしてし
まいかねません。 そうなったら性病云々以前に、現地住民との間に軋轢を生むことになります。 そ
れは統治の上で非常に大きな障壁になりかねません。
かといって、日本軍が直轄で慰安所を運営しようとしたとしたら、(朝鮮人女衒が追軍して来ない様な
場所なら良いのですが)朝鮮人女衒居る様な場所では、日本軍による慰安所の直接経営を(朝鮮人女
衒が)指を咥えて傍観してくれるワケがありません。
そんなもの、酷い妨害工作を受けるに決まっています。
だから、人好しで揉め事を嫌う日本人は、朝鮮人女衒の全員が全員悪人じゃないという仮定の下
に、民間委託することにしたのです。 もちろん、朝鮮人の性質は知っていたので、慰安婦を不当に扱
ったり、性病を患ったまま接客することがないように『善い管理』を行っていた・・・それが日本軍と慰安
所の関係です。
米軍や他の軍隊の場合でも、
軍の周辺に来た女性たちを集めて、いわゆる売春婦として管理するということは
やってはいるのですが、その場合にも別に米軍が集めたわけでもないし、
アメリカ兵が何人いるから、そのために女性が何人必要で、だからこれだけ女性を調達してこい
などということを軍がやっているわけではありません。

米軍や他の軍隊は、自分から売春婦に成りたくて軍の周辺に寄ってくる女性がゴマンと居たから日
本の様に管理していないって、おいおい。
wikipedia「慰安婦 - 4 各国の軍用売春」
http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 - 4 各国の軍用売春
> 各国の軍用売春
>
> ※ 日本軍慰安婦、韓国軍慰安婦については別節を参照(後述)。
>
> インド駐留イギリス軍
>
> 1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では、
> 利用料金は労働者の日当より高く、また女性の年齢は14〜18歳だった[150]。
> 当時インドのイギリス軍は、バザールが付属する宿営地に置かれ、
> バザールには売春婦区画が存在した[150]。
> 主に売春婦カーストの出身で、なかにはヨーロッパから渡印した娼婦もいた[150]。
> 売春婦登録簿は1888年まで記録されている[150]。
>
> 第二次世界大戦の時代にはイギリス軍は公認の慰安所は設置せずに、
> 現地の売春婦や売春宿を積極的に黙認した[151]。
> 1944年3月の米軍の日系2世のカール・ヨネダ軍曹のカルカッタでの目撃証言では、
> 6尺の英兵が10歳のインド人少女に乗っている姿が丸見えで、「強姦」のようだったとして、
> またそうしたことが至るところで見られたという[151]。
> 性病感染率の記録からは、ビルマ戦戦では6人に1人が性病に罹っていた[152]。
> また、日本軍の慰安所を居抜きで使用したともいわれる[151]。
>
> イギリス軍の捕虜になった会田雄次は、
> 英軍中尉がビルマ人慰安婦を何人も部屋に集めて、
> 「全裸にしてながめたり、さすったり、ちょっとここでは書きにくいいろいろの動作をさせて」
> 楽しんでいたという[153]。
>
>
> ドイツ軍
>
> 「:en:German military brothels in World War II」
> および「:en:German camp brothels in World War II」も参照
>
> ドイツ軍は日本軍と非常に類似した国家管理型の慰安婦・慰安所制を導入し
> 500箇所あった[154]。ドイツ政府は「人道に対する罪に時効はない」と宣言し、
> 様々な戦後補償を行なっているが、当時のドイツ軍による管理売春・慰安所・慰安婦問題は
> そうした補償の対象とはされてこなかった[155]。
> しかし、日本軍慰安婦問題がきっかけとなり、検討されるようになった[156]。
> また秦郁彦が1992年に日本の雑誌『諸君!』[157]で紹介した
> フランツ・ザイトラー『売春・同性愛・自己毀損 ドイツ衛生指導の諸問題1939-1945』[158]は
> ドイツでも知られていなかったため、当時来日していたドイツ人の運動家モニカ・ビンゲンは
> ドイツに帰国してこの問題に取り組むと語った[159][160]。
> ドイツ正規軍将兵用の慰安所(軍用売春宿)以外にも、ナチスドイツでは強制収容所に
> 囚人用の慰安所が存在していた。
> これに関してクリスタ・パウルが『ナチズムと強制売春』を1994年に[161]、
> また2009年にはロベルト・ゾンマーが『強制収容所の売春施設:ナチス強制収容所での
> 性的強制労働』を発表した[162]
>
> 「#ドイツにおける報道」および「ドイツの歴史認識」も参照
>
>
> ドイツ軍将兵用慰安所
>
> ザイトラーの著作によれば、1939年9月9日、ドイツ政府は軍人の健康を守るために
> 街娼を禁止し、売春宿 (Bordell) は警察の管理下におかれ、衛生上の監督をうけ、
> さらに1940年7月にはブラウヒッチュ陸軍総司令官は、性病予防のために
> ドイツ兵士のための売春宿を指定し、それ以外の売春宿の利用を禁止した[160]。
> 入場料は2-3マルク、高級慰安所は5マルクだった[160]。
> なお、ソ連のスターリンは売春を禁止していたため、東方の占領地では売春宿を新設し、
> 慰安婦はしばしば強制徴用されたといわれる[163]。
>
> 2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と
> 売春 (Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution)」では、ドイツ軍が1904年、
> フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後にはポーランドやウクライナの
> 女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。
>
>
> 強制収容所における囚人用慰安所
>
> ナチス・ドイツ時代の強制収容所には囚人用の慰安所が存在した
> (慰安所#強制収容所のなかの慰安所を参照)[164]。
>
>
> フランス軍
>
> フランス軍、特にフランス植民地軍では「移動慰安所」という制度(慣習)があった[165][166]。
> 「移動慰安所」は、フランス語でBordel militaire de campagne、またはBordels Mobiles de
> Campagne(略称はBMC)と呼ばれ、第一次世界大戦・第二次世界大戦・インドシナ戦争、
> アルジェリア戦争の際に存在した[167]。
> 移動慰安所はモロッコで成立したといわれ[168]、ほかアルジェリア、チュニジアにも
> 存在した[169]。 慰安婦には北アフリカ出身者が多かった[165]。
> 現地人女性は防諜上の観点から好ましくないとされた[170]。
> 秦郁彦は、このフランス軍の移動慰安所形式は、戦地で日本軍が慰安婦を連れて
> 転戦した際の形式と似ていると指摘している[165]。
>
>
> 米軍
>
> アメリカの公娼制と売春禁止運動
>
> アメリカ合衆国では南北戦争時に性病予防のための管理売春を計画し、
> 戦後の1870年にセントルイスでヨーロッパ型の公娼制が導入され[171]、
> ニューヨーク、シカゴ、シンシナティー、サンフランシスコ、フィラデルフィアでも
> 計画がすすめられた[172]。
>
> 同時に公娼制度・売買春反対の運動がおこり、1880年代からは純潔十字軍が
> 社会浄化運動を行い[173]、米国純潔連合、米国自警協会、米国社会衛生協会などの
> 組織がつくられ、娼婦を「白人奴隷」と表現し、公娼制度を「白い奴隷制度」と
> センセーショナルに報告し、WASPの公共心に道徳的なパニックをひきおこした[174]。
> またアメリカでは娼婦への反感と人種差別がむすびつき、1875年には世界ではじめて
> 中国人娼婦の入国禁止法を制定し、のちに国籍問わず娼婦の入国を禁止し[175][176]、
> さらに中国人娼婦を口実に1882年に中国人排斥法が成立し、また日本人娼婦も
> 排斥された[173]。
> サンフランシスコ労働者党のデニス・カーネーは中国人と日本人排斥運動を行い、
> 1892年5月にサンノゼ市のサンタクララ町で、
> 「(中国人と)同じアジアの奴隷が流れ込んでいる。
> 日本には馬も馬車も何もなく、人間がその代役を勤めている。
> 女は十歳にしていうをはばかる職業に従事するため、政府より許可状をもらう」
> 「日本人には貞操という観念はまったくない。 男と女が野獣と同様に無茶苦茶に交合する」
> などと演説し、日本人娼婦や労働者の排斥を訴え、群衆から拍手で迎えられた[177]。
> 当時のアメリカの売春宿は一般的に最貧地域にあり、黒人、東欧移民が多く、
> 太平洋沿岸では中国人、日本人娼婦がおり、肌の色で区分されることもあり、
> たとえばサンフランシスコの娼家では最上階は白人娼婦、下の階に中国人、日本人、
> メキシコ人女性が営業していた[178]。
> 1903年、1907年、1910年と外国人女性を含む娼婦排斥法が厳格化し、
> 1910年のマン法では不道徳な目的による女性の移動が禁止され、
> さらにあらゆるセックス行為が罪に問われるようになり、紅灯地区は閉鎖され、
> 売買春は地下に潜るようになり、娼婦は公共の売春宿を失ったため、
> 電話、街頭、マッサージ・パーラー、ダンス・ホールなどで客をとるようになり、
> また経営も組織犯罪シンジケートに移っていった[179]。
>
>
> 植民地フィリピンの米軍用売春と公娼制
>
> アメリカ本国は全国レベルでは公娼制を持たなかったが、
> 植民地で公娼制度を導入した[172]。
> 米西戦争でスペインに勝利したアメリカが1898年にフィリピンを占領してからは
> 雨後の筍のように売春宿が蔓延し、また米軍は、現地の娼婦の検診を施したため、
> 宣教師がこれらを訴えた[180]。
> 1902年4月、キリスト教婦人矯風会(WCTU)のマーガレット・エリスが
> マニラ管理売春や児童買春の実態を報告するなどフェミニズムからの抗議を受け、
> 米国政府は性病検査と検査料金徴収を中止し、健全な娯楽施設、読書室、体育館を
> かわりに建設するとした[180]。
> ルーズベルト大統領は現地娼婦と軍との関係を不明瞭にしたが、
> フィリピン軍政責任者のルート陸軍長官は診断料や診断証明書の料金がなくなっただけ
> と語ったような実情であった[172]。
> のちにマーガレット・エリスと政府とのあいだで裏取引が発覚しており、
> その後も米軍慰安所は実質的に存続し、フィリピンで売春街を紅灯街に限定するようにし、
> 性病検査を継続しながらもアメリカ政府が公式に関与していないように努力した[181]。
>
> 米軍目当ての売春宿と性病検査はその後も第二次世界大戦、ベトナム戦争、
> 1990年代の米軍の一時撤退まで継続し、廃止されることはなかった[182][172]。
> また、アメリカ人女性、フランス人、イタリア人、ロシア人、ユダヤ人の白人娼婦も
> ボンベイ、シンガポール、サイゴン、香港、上海、ハルビン、マニラなどで就業した[183]。
>
> フィリピンの状況はその後も断続的に報告されるが、管理売春反対運動は後退した[184]。
> 理由としては当時のフェミニストは米国の帝国主義と植民地主義を支持していたことが
> あげられ、矯風会もフィリピン、ハワイ、プエルトリコ領有を支持し、米国が神の目的を
> 実現する救済者国家であると信じていた[184]。
>
>
> ハワイ・中国・占領地での米軍
>
> アメリカ軍は1941年米陸軍サーキュラー170号規定において、
> 「兵士と売春婦との接触はいかなる場合でも禁止」
> されたが、実際には買春は黙認されていた[185]。
> 米海軍の根拠地であるハワイでは「組織的売春 (organized prostitution)」が設置され、
> 登録売春宿(慰安所)が設置されていたとされる[186]。
> 1942年に昆明では、フライング・タイガースが性病感染で有名な売春宿のせいで
> 「空軍の半数が飛べなかった」とのセオドア・ホワイトの証言がある[187][188]。
> 1943年夏のシシリー島占領後は、ドイツ・イタリア軍の慰安所を居抜きで利用している[189]。
> 太平洋戦線ではビルマ方面で日本軍の慰安所を参考に
> 売春婦をインドで集め慰安所を設置していた。
> しかし慰安所について米国国内で論争が発生し、
> 1944年9月には、売春宿(慰安所)の廃止が決定され[186]、
> 1945年4月24日付で「海軍作戦方面における売春について」との通達が
> 米国陸軍高級副官名で出され、同年9月1日に発令された[190]。
日本軍と五十歩百歩じゃないですか。
アメリカ軍は物資が豊富で、そこに行けば食べ物は豊富にありますから、
戦場の中で人が集まってくる。
それを管理するということであって、日本軍と同じとはいえないでしょう。
* 米軍と日本軍の比較は、
林博史「5 軍隊と性暴力―「慰安婦」制度と米軍の性暴力」
(林博史・中村桃子・細谷実編著『連続講義 暴力とジェンダー』白澤社、2009年)参照

アメリカ軍は、戦場の中でも勝手に人(売春婦)が集まってくる → それを管理する
ねぇ。
ふ〜ん。

つ [ 韓国軍慰安婦 ]
http://ja.wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦
> 連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
>
> 第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、
> 朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。
>
> 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ日本軍将兵を相手にした
> 慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[12][16][9]。
> 1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、
> 基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた[9]。
> 富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、
> キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地
> だった[9]。
>
> 第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があり、
> これも日本軍将兵も利用した公娼地域であった[9]。
> ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、大邱の桃源洞(チャガルマダン)、
> 大田の中央洞などの公娼地域も同様に引き継がれた[9]。
>
> 1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって
> 性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた[9]。
>
>
> 朝鮮戦争と特殊慰安隊
>
> 1948年8月15日にはアメリカ合衆国の支援を受けて大韓民国が建国された。
> 同年9月9日には朝鮮民主主義人民共和国が独立する。
> しかし、1950年より南北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発、1953年7月27日に休戦する。
>
> 朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。
> 韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した[7][2][17]。
>
> 大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[18]。
> 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を
> 作成していた[2][3]。
> 部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[6]。
> 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店し
> アメリカ兵も利用した[6]。
>
> 韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[19]に
> 大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する
> 目的で強制的に集団的性行為を強要された事例もある。
>
>
> 「特殊慰安隊」
>
> 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、
> 固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは
> 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と
> 目撃者たちの証言によって裏付けられた[20]。
>
> 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
> 組織的体系的に慰安婦制度をつくった[21][22]。
>
>
> 第五種補給品
>
> 尉官将校だった金喜午の証言では、
> 陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」とよばれた[21][23]。
>
> 軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[21][23]。
>
>
> 韓国軍慰安婦の類型
>
> 金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、
> 昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例も
> あった[21]。
>
> また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[24]。
>
>
> 設置理由
>
> 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、
> これは日本軍慰安婦と同様のものであった[21]。
> 計画は陸軍本部恤兵監室が行い[21]、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を
> 米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[21]。
> 韓国政府・軍は慰安婦に対して
> 「あなたたちはドルを得る愛国者」
> として「称賛」されたという[25][9]。
>
>
> 慰安婦の輸送方法
>
> 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて
> トラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[22][6][26]。
少なくとも日本の敗戦から僅か4年後に勃発した朝鮮戦争において、米軍は韓国という優秀な下僕を
得て、下僕に追軍売春婦の管理を丸投げしていたのです。
旧日本軍だって朝鮮人女衒に丸投げすることは可能でした。 だけど、朝鮮人に丸投げしたら、集ま
ってくれた慰安婦の方々にどんな酷い仕打ちをするか分かったもんじゃない。 だから『軍の善い管理』
を行ったのです。
実際問題、朝鮮人に丸投げした為に、朝鮮戦争時の特殊慰安隊は本当に酷い事になりました。
2013-05-22 中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造
特殊慰安隊 〜韓国の「従軍」慰安婦〜
http://ameblo.jp/yamasiro04/entry-11535923536.html
> 前回、韓国軍がベトナム人約30万人を虐殺し、虐殺を免れたベトナム人女性を
> 強制連行して慰安婦として韓国兵や米兵の相手をさせた ことについて触れたが、
> 韓国の慰安婦はこれだけではない。
>
> 朝鮮戦争当時、韓国は慰安婦を徴集して、これを「特殊慰安隊」と名付け、
> 組織的に軍の管理下に置いた。
> 米兵や韓国兵による婦女暴行事件が多発したため、これを阻止することを目的とした
> ものであった。
>
> さてこの慰安婦、徴集に自発的に応じた者もいたが、
> 北朝鮮軍看護婦や北朝鮮の一般人で、韓国軍によって
> 捕えられ、強制されて慰安婦にされた者もいた。
> これこそ正に韓国の正規軍による強制連行であり、
> 性奴隷(sex slave)の名に相応しい。
>
> 韓国軍慰安婦は、1996年に韓国内で明るみに出たが、韓国内では
> 「 身内の恥を晒すな 」、「 日本極右の弁明の材料になる 」
> として、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧が禁止されるなど、
> 国を挙げて事実の隠蔽に邁進している。
Hatena::keyword「特殊慰安隊」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/特殊慰安隊
> 1951年頃から1954年まで運用した韓国軍慰安婦の呼称。
> 固定式施設だけではなく、移動式運用の「従軍慰安婦」の仕組みもあった。
> 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、
> そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の
> 占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
> まだ疎開しなかった女性などは、共産主義者を助けた
> の名目で強制的に性奴隷にした。
サヨクが人道に反する罪と弾劾して憚らない日本軍の慰安婦問題において、このような酷い人権蹂
躙はありませんでした。
この現実を知ってしまったが最後、 「 慰安婦に関与した旧日本軍と日本政府は有責 」 と言い張る事
は出来ません。 ちゃんと史実を学んで現実を直視しましょう。
第3に、米軍の場合、軍が売春宿の利用を認めていることが本国にわかると、
教会や議員たちから抗議を受け、軍中央は直ちに閉鎖させる措置を取っています。
本国世論が認めませんでした。
米軍が現地で、たとえば売春宿を認めたりするようなことをやると、
兵士が怒って、郷里の教会の牧師に手紙を書いて、その牧師が国会議員のところに
手紙を持っていって、国会議員が軍を追及する。
そうすると、軍では、そんなことはぜったい認めていないと言って、
すぐ現地に、売春宿を閉鎖しろ、オフリミッツにしろという指令がとんでいく。
あるいは、チャプレン(従軍牧師)が、けしからんと怒るのです。

おいおい、特殊慰安隊を全否定かよ。
と思ったら、直下に
> なお朝鮮戦争のときに韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、
> また韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。
って、特殊慰安隊の存在を認めているんだよな。
多重人格者が書いてるのか? ワケワカランな。
ですから、米軍の政策を、かなりアメリカ社会がチェックをしているという側面があります。
米軍の場合、本国の世論、国会議員や彼らの地元の支持者、それに教会などからの批判を
意識せざるをえません。
このあたりは、日本軍とはずいぶん違います。
民主主義国と独裁国家との違いとも言えるでしょう。

明治政府を独裁国家って正気か?・・・と驚いて念の為にキーワード検索をしてみたら、
2008/01/11 A Tree at Ease
私たちが明治軍事独裁政権で失ったもの
http://luxemburg.blog112.fc2.com/blog-entry-44.html
> 前回に続いて、渡辺京二さんの著書についてもう少し続けよう。
> 明治維新とは、薩摩長州という最悪の圧政集団が外国の死の商人に踊らされて
> 軍事クーデターにより国土と国民ばかりでなく、国そのものを破壊したものであり、
> 国を私物化し、国民を殺人狂に駆り立てた最悪の事件だったのかもしれない。
> この戦前の日本の姿を悪く言うのは自虐でも何でもない。
> まさに私たちが自分を取り戻そうとする試みである。
> こんな恥ずかしい日本を「自」ということの方が、よほど自虐的ではないのか。
> この歴史は、戦争犯罪人の子孫が簡単に首相になってしまうような
> 現在の政権が隠したい歴史だろう。
> 江戸時代における民衆の政治意識はどうだったのか。
>
> 「 ヨーロッパ人の私がもっとも驚いたのは、
> 日本の生活の持つきわめて民主的な体制であった。
> モンゴル的な東洋のこの僻地にそんなものがあろうとは予想もしていなかった 」
>
> ( メーチニコフ:明治7年から1年半日本に滞在したロシア人
> 「回想の明治維新」などの著者 )。
>
>
> 「 この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等であり、
> 大西洋のアングロサクソンよりも根底においては民主的である。
> 金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
> 本物の平等精神、我々は皆同じ人間だと心底から信じる心が
> 社会の隅々まで浸透している 」
>
> ( チェンバレン,Basil:イギリス人、「日本事物記」の著者 )。
>
>
> 「 片田舎の農民を訪ねてみるがよい。
> 政府について民衆が持っている考えの健全かつ自主的であることに、
> 諸君は驚くことであろう。
> 民衆はおしなべて、この国の貧しさの責任は政府にあると口を揃えて非難している。
> そうしたことを聞くのはなかなか興味深いことであった。
> それでいて、この国には乞食の姿はほとんど見かけないし、
> どの都市でも、夜ごと歓楽街は音楽と踊りでにぎわいにあふれている。
> これが支配者の前に声なくひれ伏す東方的隷従だろうか 」
>
> ( ニコライ:神田ニコライ堂の創設者 )
>
>
> 「 卑屈でもなく我をはってもいない態度からわかるように、
> 日本のあらゆる階層が個人的な独立と自由を享受している 」
>
> ( イザベラ・バード:イギリス人旅行家 )
>
>
> 「 日本人は男にふさわしく物怖じせず背筋を伸ばした振る舞いを見せ、
> 相手の顔を直視し、自分を誰にも劣らぬものとみなす 」
>
> ( ジェフソン=エルマースト )
>
>
> 「 下層の人々でさえ、他の東洋諸国では見たことのない自恃の念を持っている 」
>
> ( ホームズ )
>
>
> アメリカに対して卑屈にへつらう自民党政権の人たちが、
> 江戸人ではなく明治人であることはよくわかる。
> 彼らは日本にいてはいけない人間たちなのではないだろうか。
2013/1/16 DrHironariYamadaのブログ
真の日本文化を継承する者はだれか?
http://blogs.yahoo.co.jp/mirrorcle_hironari/11010521.html
《前略》
>
> 問題は明治以降である。
> 身分制度を解き放つことをし、或る程度有能な人材を起用して国会を召集したが、
> 帝国憲法を見れば分かるように民主主義を導入したわけではなく、
> 富国強兵の号令で西洋化を進め、西洋より遅れて帝国主義国家をつくった。
> そして同時に日本文化を破壊した。 日本文化を守り続けたのは庶民である。
> 明治政府は尊王攘夷を旗印にし、結果として中国や韓国の侵略へと進んだ。
> 形としての尊王を主張するが、それは方便にすぎない事がやがて明らかになる。
> 天皇家は古来より平和主義者であったと認識しているのだが、
> 日本の軍国主義は、天皇を形だけ利用し、責任だけを押し付けて、実質的には無視をして
> 軍事独裁国家の道を歩んだと考えるのが妥当である。
> 明治政府が行ったもう一つの改革は男尊女卑である。
> 男尊女卑の思想は、女性天皇を排出させないという皇室典範に盛り込まれたが、
> 女性を起用しないという実に世界にも例のない国家を作り上げてしまった。
> 江戸時代にも鎌倉時代にも女傑は登場する。
> ところが明治は、実に女性を卑下した国家であった。
> その歴史が続き、多くの国で女性大統領が排出される中で、
> 日本では決して排出されない、最も遅れた国家を作ってしまった。
> これが現代日本を停滞させている一つの象徴であり、明治の後遺症である。
> 明治は長州が主導して軍事国家を形成した。
> 今またその末裔が日本を軍事国家へ導こうとするならば、それは日本の良き文化を
> さらに破壊する行為であり、どこにも誇りを持つことのできない日本国家が出現することを
> 国民は理解しなければならないだろう。
> 戦後日本は、戦争を放棄した結果、世界から愛すべき国家として受け入れられている。
> 日本人一人一人は実に人道的であり平和主義であり、その平和主義に基づく文化を
> 世界から評価されている。
> ところが、明治憲法を復活させよと叫ぶ集団が有り、極右軍事国家が誕生するかも
> しれないという瀬戸際で有る。
> ここで冷静に考えるべきは、その様な国家は、良き日本文化の全てを破壊することになる
> だろうということだ。 古来の日本とは似ても似つかない国家が誕生するということだ。
> 歴史の総括として明治政府は実に日本文化を破壊した政府だった。
> その継承者として自民党が日本を取り戻そうと叫ぶ時、どうも取り戻すのは、
> 良き日本文化ではなさそうである。
> 本当の良き日本文化の継承者ならば、時代に先駆けて誕生した
> 江戸のリサイクル文化に誇りを持ち、貧富の差を無くす、庶民を愛する文化を取り戻すのが
> 良いだろう。
> 決して原発を再稼働することなく、さらに原発を作るという野蛮な行為に出ることはしない、
> いつくしみが基調に有るのが古来からの日本文化である。
> 自民党が原発路線を踏襲する限り、彼らは決して日本文化の継承者ではなく、
> 品の無い明治文化の継承者ということになるだろう。
> 明治は我々に何か誇るべき文化を残しただろうか?
・・・今更ながら、「通常の思考しかできない人間がアカと分かり合える日は未来永劫来ない」と再確認
したわ。 納税額で制限されていたとはいえ、誰に投票しても咎められない,誰に投票したのかを立候
補者に知られることがない選挙によって、議員の首が挿げ替わる制度を持つ国の何処が独裁国家な
んだよ。
他方、日本軍は公然と慰安所を設置運営しました。
日中戦争が始まった直後に陸軍の「野戦酒保規程」が改正され、
戦地において将兵のために日用品や飲食物を販売する酒保において、
「必要なる慰安施設」を設置できるようになりました。
つまり軍が公然と慰安所設置運営をおこなっていたのです。

本当に日本軍が直轄で慰安所を運営しようとしたとして、朝鮮人女衒が指を咥えて傍観しているとで
も思うの? そんなもの、酷い妨害工作が起こるに決まっているじゃないか。
お人好しで揉め事を嫌う日本人は、朝鮮人女衒の全員が全員悪人じゃないという仮定の下に、民間
委託することにしたんだ。 もちろん、朝鮮人の性質は知っていたので、慰安婦を不当に扱ったり、性
病を患ったまま接客したりしないように『善い管理』を行っていた・・・それが日本軍と慰安所(朝鮮半
島)の関係です。
これまで明らかにされているところでは、
第二次世界大戦のときに、組織的に軍慰安所を開設し利用したのは、
日本軍とドイツ軍(ナチス親衛隊SSを含む)だけと見られます。

> 第二次世界大戦のときに
> 第二次世界大戦のときに
> 第二次世界大戦のときに
なんとまぁ狡いこって。
そりゃWWU限定だったら、朝鮮戦争の時に行われた悪夢のような『韓国軍慰
安婦』は入らないもんね。
だからサヨクは嫌われるんだよ。 もっと正々堂々と戦いなさい。
なお朝鮮戦争のときに韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、
また韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。
当時の韓国軍の幹部は旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧満州国軍の軍人たちが多く、
日本軍のやり方を真似たと言えます。
これも重大な人権侵害であり批判されるべきですが、だからといって日本軍「慰安婦」制度を
弁護するのは筋違いでしょう。
むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを
反省しなければならないのではないでしょうか。

いやいやいや。
日本の 『慰安婦』 と韓国の 『韓国軍慰安婦 ( 特殊慰安隊 )』 って、似て非なるものじゃん。
日本の 『慰安婦』 が
彼女の家へ招待されたら両親が不在で、二人で居る内に良い雰囲気になったので
押し倒してセックスしたら、終わってから 「 合意じゃなかった 」 と泣かれた
という微笑ましい若気の至りだったとしたら、
韓国の 『韓国軍慰安婦 ( 特殊慰安隊 )』 は
裏ビデオの東京熱が裸足で逃げ出すような 強姦で 生姦 中出し 輪姦
という下種の極みじゃないですか。
はい、もう一度♪

http://ja.wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦
> 連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
>
> 第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、
> 朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。
>
> 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ日本軍将兵を相手にした
> 慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[12][16][9]。
> 1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、
> 基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた[9]。
> 富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、
> キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地
> だった[9]。
>
> 第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があり、
> これも日本軍将兵も利用した公娼地域であった[9]。
> ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、大邱の桃源洞(チャガルマダン)、
> 大田の中央洞などの公娼地域も同様に引き継がれた[9]。
>
> 1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって
> 性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた[9]。
>
>
> 朝鮮戦争と特殊慰安隊
>
> 1948年8月15日にはアメリカ合衆国の支援を受けて大韓民国が建国された。
> 同年9月9日には朝鮮民主主義人民共和国が独立する。
> しかし、1950年より南北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発、1953年7月27日に休戦する。
>
> 朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。
> 韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した[7][2][17]。
>
> 大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[18]。
> 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を
> 作成していた[2][3]。
> 部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[6]。
> 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店し
> アメリカ兵も利用した[6]。
>
> 韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[19]に
> 大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する
> 目的で強制的に集団的性行為を強要された事例もある。
>
>
> 「特殊慰安隊」
>
> 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、
> 固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは
> 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と
> 目撃者たちの証言によって裏付けられた[20]。
>
> 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
> 組織的体系的に慰安婦制度をつくった[21][22]。
>
>
> 第五種補給品
>
> 尉官将校だった金喜午の証言では、
> 陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」とよばれた[21][23]。
>
> 軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[21][23]。
>
>
> 韓国軍慰安婦の類型
>
> 金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、
> 昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例も
> あった[21]。
>
> また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[24]。
>
>
> 設置理由
>
> 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、
> これは日本軍慰安婦と同様のものであった[21]。
> 計画は陸軍本部恤兵監室が行い[21]、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を
> 米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[21]。
> 韓国政府・軍は慰安婦に対して
> 「あなたたちはドルを得る愛国者」
> として「称賛」されたという[25][9]。
>
>
> 慰安婦の輸送方法
>
> 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて
> トラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[22][6][26]。
少なくとも日本の敗戦から僅か4年後に勃発した朝鮮戦争において、米軍は韓国という優秀な下僕を
得て、下僕に追軍売春婦の管理を丸投げしていたのです。
旧日本軍だって朝鮮人女衒に丸投げすることは可能でした。 だけど、朝鮮人に丸投げしたら、集ま
ってくれた慰安婦の方々にどんな酷い仕打ちをするか分かったもんじゃない。 だから『軍の善い管理』
を行ったのです。
実際問題、朝鮮人に丸投げした為に、朝鮮戦争時の特殊慰安隊は本当に酷い事になりました。
2013-05-22 中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造
特殊慰安隊 〜韓国の「従軍」慰安婦〜
http://ameblo.jp/yamasiro04/entry-11535923536.html
> 前回、韓国軍がベトナム人約30万人を虐殺し、虐殺を免れたベトナム人女性を
> 強制連行して慰安婦として韓国兵や米兵の相手をさせた ことについて触れたが、
> 韓国の慰安婦はこれだけではない。
>
> 朝鮮戦争当時、韓国は慰安婦を徴集して、これを「特殊慰安隊」と名付け、
> 組織的に軍の管理下に置いた。
> 米兵や韓国兵による婦女暴行事件が多発したため、これを阻止することを目的とした
> ものであった。
>
> さてこの慰安婦、徴集に自発的に応じた者もいたが、
> 北朝鮮軍看護婦や北朝鮮の一般人で、韓国軍によって
> 捕えられ、強制されて慰安婦にされた者もいた。
> これこそ正に韓国の正規軍による強制連行であり、
> 性奴隷(sex slave)の名に相応しい。
>
> 韓国軍慰安婦は、1996年に韓国内で明るみに出たが、韓国内では
> 「 身内の恥を晒すな 」、「 日本極右の弁明の材料になる 」
> として、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧が禁止されるなど、
> 国を挙げて事実の隠蔽に邁進している。
Hatena::keyword「特殊慰安隊」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/特殊慰安隊
> 1951年頃から1954年まで運用した韓国軍慰安婦の呼称。
> 固定式施設だけではなく、移動式運用の「従軍慰安婦」の仕組みもあった。
> 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、
> そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の
> 占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
> まだ疎開しなかった女性などは、共産主義者を助けた
> の名目で強制的に性奴隷にした。
サヨクが人道に反する罪と弾劾して憚らない日本軍の慰安婦問題において、このような酷い人権蹂
躙はありませんでした。
サヨクの主張を鵜呑みにしてさえ、親が子を買ったり、無辜の女性を甘言で騙して慰安所に囲い込ん
で無理やり売春婦として働かせた程度です。 そしてそれさえも、検証すれば冤罪である可能性が濃厚
になっています。
これで
むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを
反省しなければならないのではないでしょうか。
と主張するのは、
日本人が恋人を押し倒すトコロを見たので、
私(韓国人)は生姦中出しの強姦・輪姦魔になった
と主張するようなモノです。
いい加減、恥というものを知りましょう。
[ 画像:2-2-5a 史料 省略(引用元アドレスをご参照ください)
【説明】 海南島の海軍慰安所についての台湾拓殖会社の資料があります。
. 海南島における慰安所の設置は、1939年に占領した後、
. 陸軍・海軍・外務省の3省の連絡会議によって計画されました。
. そこでは、台湾総督府を通じて、海南島への進出をはかった台湾拓殖会社に
. 慰安所設置、慰安婦の徴集を依頼しました。
. 台湾拓殖会社は、台湾総督府、外務・大蔵・陸海軍などの各省の協力をえて
. 設立された会社であり、半官半民の国策会社でした。
. この事例は、慰安所設置が、陸海軍だけでなく、外務省、台湾総督府さらには政府の
. 支援を受けて設立された国策会社をも巻き込んでおこなわれたことを示しています。

だから、慰安所の設営に旧日本軍や日本政府が関与していたからと言って、それ自体は罪になんか
ならないっつの。
サヨクの頭の中では、慰安所で行われた加虐行為の犯人が日本の将兵じゃなくて、朝鮮人女衒や漢
奸(※日本人の手先となった中国人)であっても、日本軍が慰安所の設営に関与していれば日本軍を
同罪になる・・・んだろうけれど、それは無理です。
常識的な考え方をしましょう。
ソープでもちょんの間でも、オーナーの与り知らない所で女衒や黒服が嬢に暴行を加えていたとして
も、実は知っていたと証明できない限り、オーナーに責任はありません。 百歩譲ってあるとしても道義
的責任までです。 テレビのニュースでお偉いサンが深々と頭を下げているアレです。
そして、“テレビのニュースでお偉いサンが深々と頭を下げているアレ”に相当するのが、歴代日本内
閣政府が継承している『河野談話』です。
『河野談話』とは、詰まる所、それだけの意味しかありません。
それ以上の責を負わせ得るのは、脳内の妄想でしかないと理解しましょう。
□■2014年10月24日に韓国軍慰安婦の記事を消していました□■□■□■□
魚拓:
なお朝鮮戦争のときに韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、
また韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。
当時の韓国軍の幹部は旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧満州国軍の軍人たちが多く、
日本軍のやり方を真似たと言えます。
これも重大な人権侵害であり批判されるべきですが、
だからといって日本軍「慰安婦」制度を弁護するのは筋違いでしょう。
むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを
反省しなければならないのではないでしょうか。
2014年10月24日更新:
― 削除 ―
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