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Q&A - 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制
 - 2 「慰安婦」は「公娼」だったか? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=166 (なお魚拓は無効な構造です)

   ↓ ↓ ↓

 発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却 への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。


 0-2 「慰安婦」は「公娼」だったか?
 http://fightforjustice.info/?page_id=2431 ( 魚拓 )


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 Q&A編 0 何が問題か 「慰安婦」制度と公娼制

 - 2 「慰安婦」は「公娼」だったか?

 「慰安婦」=「公娼」ではない

 「慰安婦」被害の存在を否定する人たちの代表的な主張に、次のようなものがあります。

   「 日本軍に組み込まれた「慰安婦」は“セックス奴隷”ではない。
    世界中で認可されていたありふれた公娼制度の下で働いていた女性たちであった。
    慰安婦の多くは佐官どころか将校よりも遥かに高収入であり、
    慰安婦の待遇は良好であったという証言も多くある。」
   (“THE FACTS”『ワシントン・ポスト』2007年6月14日)

 公娼制度というのは、特定の業者と女性たちが売春業を営むことを公認し、
 警察に登録させる制度のことです。 戦前の日本はこの公娼制度を採用していました。
 つまり、上記の主張は、「慰安婦」は当時公認されていた「売春婦」であったと言っているのです。

 しかしこの主張は間違っています。 「慰安婦」=「公娼」ではありません。
 なぜなら「慰安婦」にさせられてしまった被害者たちの多くが
 公娼制度や売買春とは何の関係もない女性たちだったからです。

 

 証拠を出せ!

 私が大学を出て就職した先は、「製鋼の現場で同じ釜の飯を食って来い」と親父に言われてコネ入社 した名古屋の製鋼会社だった。

 もし、何年,何十年経って、製鋼の現場で働くことが賤業と見做されるようになって、私が周りから後 ろ指差されたら 
 「 逃げられない寮に入れられるまで製鋼会社だと知らなかった。 俺は親に売られたんだ 」
 くらいのことは言うでしょう。

 現在の韓国は猛烈な反日社会であるために、「日本人を相手に股を開いて金儲けをした」なんて過 去が許されない風潮があります。

 ですから、私が
 「 逃げられない寮に入れられるまで製鋼会社だと知らなかった。 俺は親に売られたんだ 」
 と言うのと全く同じ次元で
 「 私は騙されて慰安婦に成った。 金の為に喜んで股を開いていたわけではない 」
 くらいのことは言うでしょう。

 それはいわゆる“息を吐く様に吐く嘘”のではなくて“保身の為に吐く嘘”です。

 その嘘は責められません。

 成熟しない異常な社会である韓国が悪いのであり、また、その成熟しない社会を利用して元売春婦 のお婆さんを洗脳して反日活動に利用している反日サヨク活動家が悪いのです。

 日本人相手に金儲けをした人が嘘を吐かなければ生きていけない韓国という社会を考慮した上で、 なおも

 > なぜなら「慰安婦」にさせられてしまった被害者たちの多くが
 > 公娼制度や売買春とは何の関係もない女性たちだった

 と主張するのであれば、証言以外の証拠を示すしかありません。

 示せないなら黙ってろ、です。



 「慰安婦」被害者たちは日本軍や日本軍に命令された業者たちによって、
 暴力や詐欺・人身売買などの方法で徴集され、
 慰安所で軍の管理下で性奴隷状態を強いられたことが明らかだからです。

 

 白馬事件でさえも“日本軍”が人狩りをしたわけではない。

 日本軍人が(軍命ではなく個人的な判断に基づいて)人狩りを行ったのである。

 

   2013年07月11日
   慰安婦強制連行−否定派の根拠揺らぐ(11日の日記)
   http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201307110000/
   > 「スマラン事件」は最近になって発覚した事件ではなく、
   > 日本の敗戦直後に裁判が行われて判決も出ている事件であるが、
   > それを安倍首相はどのような巧妙な詭弁を弄して「強制連行した証拠はない」などという
   > デタラメな閣議決定をしたのか、6月25日の東京新聞は、次のように解説している;
   >
   《以下本スレ略》

   > まさかとは思うけど・・・・ Voss さん
   >
   > えーと、一応の確認ですけどね?
   >
   > 白馬事件=スマラン事件(別名)
   >
   > ・・・・っていう、基本的な事すら知らないってオチはあるまいな?(汗)
   >
   >
   > そもそも白馬事件は「政府・軍の主導」においては「強制連行を禁じていた」ことを示す事例。
   > これらの事件を起こしたのは現地部隊の一つに過ぎず、
   > 上級司令部の視察で強制連行された人がいた
   > (勘違いされがちだが、オランダ人慰安婦の7割くらいは同意の上で慰安所に居た)
   > ことが判った後は、即座に全てのオランダ人慰安所が閉鎖され、慰安婦は解放されている。
   >
   > つまり、日本軍において「強制的に連行して慰安所に放り込む」行為は、
   > 軍団レベル(一方面軍の更に下)でダウトである旨が認識されていた。
   >
   > 要するに、これは日本軍の許されざる蛮行の記録であると同時に、
   > 軍が組織的な強制連行を「不可」であるとしていた、有力な物証の一つでもある。
   >
   >
   > この時点で、責任者が日本軍内部で処罰されていないことを以て
   > 「上級司令部も同意していた」という無茶な解釈をするバカも多いが、
   > 当時のインドネシアは南方戦線における最前線であり、
   > 後送も処分も最前線部隊の戦力低下に直結するという、純軍事的な理由も存在する。
   >
   > 無論、この処分留保は後々問題となり、他の部隊からの抗議もあった。
   > また、戦後これらの事件に関わった者は戦犯裁判にて極刑に処されている。
   >
   > 軍が問題視し、慰安所を閉鎖した事実がある以上、白馬事件は
   > 「強制的に拉致された」
   > という物証にはなっても、
   > 「日本政府・日本軍が組織的に女性を拉致した」
   > という、『狭義の強制連行』の物証には該当しない。
   >
   >
   > そして、白馬事件は最前線における軍政下によって発生した事例であり、
   > 朝鮮半島全域にて同様の事例は一切発生していない。
   >
   > そもそも、最前線であるインドネシアですら、同事件の命令書や調査資料、
   > 閉鎖命令に至る経緯の報告書が残っているというのに、銃後である朝鮮半島において
   > そういった物証が一切残っていないのでしょうな?
   >
   > 普通、どう考えても逆になるだろ。

 したがって、

   ×:「慰安婦」被害者たちは日本軍や日本軍に命令された業者たちによって、
      暴力や詐欺・人身売買などの方法で徴集され、
      慰安所で軍の管理下で性奴隷状態を強いられたことが明らかだからです。

   ○:「慰安婦」被害者たちは日本軍に依頼された業者たちによって、
      (日本軍の与り知らない所で)暴力や詐欺・人身売買などの方法で徴集され、
      慰安所で軍の管理下にある朝鮮人女衒によって、売春をしていたことが
      明らかだからです。
      (その中には、日本軍の与り知らない強制売春があった可能性がゼロではありません。
      しかし、そうした強制売春があったという確かな証拠はなく、仮に証拠があったとしても
      日本軍の与り知らない所で強制されていたのであれば、日本軍は無関係です)

 となります。

 取り違えてはいけません。



 「慰安婦」にさせられた女性たちは、軍の許可なく「慰安婦」をやめたり、
 自由に行動することはできませんでした。

 

 そう、その通り。

 軍の許可があれば、「慰安婦」は辞めることが出来たのだ。

 サヨクの主張は、『慰安婦は性奴隷』である。

 なんで奴隷を辞めさせなきゃならないのか。 死ぬまで扱き使えば良い。

 売春できない、あるいは売春しようにも客が付かない年齢になったら、今度は単純労働で働かせば 良い。 壕の穴掘りでも何でも牛や馬の様に扱き使えば良いのだ。

 軍の許可が前提であるにせよ、辞めることが出来た以上、「慰安婦」は“性奴隷”ではない。

 あくまで、被管理売春婦である。

 なお、何故、「朝鮮人女衒の許可が」ではなくて、「軍の許可が」なのかは、聡明な読者に於かれては 説明を要しないと思う。

 狡くて悪辣な朝鮮人女衒は(親に払った身売りの代金等の)借金を完済しても客が付く間は決して手 放そうとしない。 だから、軍が許可すれば、朝鮮人女衒が反対しても「慰安婦」を辞めることが許され るようにしたのだ。

 これも『軍の善い管理』の一つである。



 このように、後述する公娼とは異なり、軍や軍の命令によって徴集され、
 軍の管理下で軍の許可なくやめる自由もなく「性奴隷」状態を強いられた点に、
 日本軍「慰安婦」の特徴があります。

 

 正鵠を期する文章に改めるとこうなります。

 ×:軍や軍の命令によって徴集され、

 ○:軍の依頼によって(軍の与り知らない所で)朝鮮人女衒等の業者に徴集され、


 ×:軍の管理下で軍の許可なくやめる自由もなく

 ○:軍が管理する慰安所で、借金を完済する等の条件を満たせば、軍が辞めて良いと認めて
   くれる程度の緩い制約を受けて


 ×:「性奴隷」状態を強いられた

 ○:借金の返済や管理料として売春の対価の何割かを朝鮮人女衒に払うという
   被管理売春を行っていた。

 日本軍は完全にシロですな。



 公娼制度とは何か

 では、戦前日本の公娼制度とはどのような制度なのでしょうか。
 戦前日本の公娼制度は、近世以来遊廓や宿場だった地域をはじめとし、
 特定の地域における特定の業者と女性に売春営業を公認するというものでした。
 性病蔓延防止という目的で女性たちには性病検査が義務付けられており、
 この性病防止と強かん防止というのが公娼制度を正当化する論理でした。
 戦前日本社会では、こうした制度の下で多くの貧困な女性たちが売春をしていたのです。

 そこで重要な点は、娼妓(公娼制度下で売春を公認されていた)をはじめ、
 芸妓(歌舞音曲を本業とするが、しばしば売春を強いられた)・酌婦(売春を黙認されていた)
 などはその稼業につく際,年期を定めて店と契約を結びますが,
 親が契約の当事者、ないしは連帯保証人となり,
 実質上親が受け取る前借金と呼ばれる借金をすることです。
 そしてその借金を返済するまで、娘は廃業する自由がほとんどなかったということです。
 つまり,彼女たちは親に売られたに等しかったのです。

 親孝行や「家」のために尽くすことが美徳とされた戦前日本社会の道徳を利用され、
 彼女たちはこのような状態を強いられていました。
 しかも彼女たちの売春に対して客が支払った代金のかなりの部分は店の収入となり,
 その残りの彼女の取り分から借金を返済するので,返済には長期間かかり,
 途中で借金が増額して返済が不可能になることがしばしばありました。
 きわめて困難な借金の返済が終わるまで、人身の自由なく売春を強要される制度,
 それが日本の公娼制度でした。
 その結果,多くの娼妓が重度の性病などの病気にかかって死亡したり,自殺したりしました。

 

 なんもん今でも同じや。

 ちょんの間の買春は1万5千円位だが(体験談)、その内、嬢(っていうほどちょんの間の売春婦は若 くないけど)の取り分はたったの5千円だ。 なんと!3分の2が女衒の懐に入る。 店の入り口で交渉 すれば1万2〜3千円に値引きして貰えることもあるが、その場合でも女衒の取り分は1万円。 値下 げした分は嬢が丸々損を抱えるのである。

 そんなローリターンなのに、なぜ女衒の下に居るのか? “たちんぼ”なら客の払った金は全部売春 婦の物になるのに。

 それは(これも既出だが)“たちんぼ”は危険だからだ。

 女性に殴る蹴るの暴行を加えることで興奮し勃起する変態も、女性の体を刃物で切り刻むことで興 奮し勃起する変態も居る。 普通に女性の裸体に興奮して勃起する普通の男性であっても、いつ、どん なストレスを受けて危険な変態に変貌するかも知れない。
 そこまで行かなくても、
 「売春で取り交わされた契約は、公序良俗に反する契約だから無効だ」
 と、売春の対価を踏み倒されても文句は言えないのである。

 だから、被管理売春婦になるのだ。

 ソープでもちょんの間でも、悲鳴一つで従業員が駆け付けるし、クチを塞いで首を絞めて殺そうにも、 事を終えた客は、出口まで嬢に案内されるシステムだから、殺人を犯した客は逃げられない。

 だから、1万5千円の支払い金額が5千円の手取り報酬になる、もし値切られたら2千円,3千円になる のだとしても、“たちんぼ”よりも“被管理売春婦”を選ぶのだ。

 当時は今と違って、人の寄り付かないブラック企業なんて物は存在せず、単純労働は命懸けの重労 働だけ。 それが務まらない貧困層の女性は、体を売るしかなかった。

 公娼制度・・・つまり、管理売春とは、そうした女性たちを“たちんぼ”のリスクから護る為のシステムで ある。

 公娼制度がなければ、貧困層の女性はリスクを覚悟して“たちんぼ”になるか、頑として売春を否定し て飢えて死ぬしかない。

 そういう時代だった、というだけの話である。



 1900年に制定された「娼妓取締規則」では,
 前借金完済以前にも廃業の自由があることが明記されました(自由廃業)
 が、前借金契約は芸娼妓契約とは別の金銭貸借であるとみなされ、
 その返済義務自体は否定されなかったので,その他の手段で借金を返せる見込みのない
 娼妓・芸妓・酌婦は、ほとんど廃業の自由なく売春を強要され続けたのです。

 

 だから、そんな事はアタリマエだっちゅうの。

 漫画『カイジ』に登場する利根川のセリフじゃないが、

  カ ネ は 命 よ り も 重 い

 んだよ。

 スポンサーから使途不明金がバンバン入ってくるサヨクには理解できないかも知れないがね。



 前借金の貸与は、娘を廃業の自由なく娼妓・芸妓・酌婦として働かせることを
 目的としていることは明白だったので、身売りの慣習を禁止するには、
 こうした前借金契約を違法化すべきだったのに、裁判所は遊郭主に有利な判断を下したのです。
 しかも以上のような非人道的公娼制度は,当時においても人々から「奴隷制度」と呼ばれており,
 婦女売買禁止の国際的基準からすると,当然廃止しなければならない制度となっていました。

 

 そりゃ、管理売春そのものを禁止するという前提なら、管理売春を目的とした借金は無効にできるだ ろうけど、当時は管理売春が合法だったのだから、前借金契約を違法にしたところで「女性の家族を売 春宿に引き取らせる代わりに貰える金」が「差し押さえ物件なしの高額借金」になり、その借金を返済 するために金の貸主と無関係な売春宿へ行って女房や娘が股を開くだけの話だ。

 そう。 イケメン屑DQNの借金を肩代わりして風呂に沈んだり、友人の借金の連帯保証人になって風 呂に沈んだりする今の風俗嬢事情と同じ話になるだけ。

 サヨクは言葉遊び的に「身売り」が法的に禁止できさえすれば良いのかも知れないが、そんなものは 何の解決にもならないぞ。



   [ 画像:娼妓契約 - 省略(引用元アドレスをご参照ください)

   娼妓契約


 以上からわかるように、公娼制度も「性奴隷」制度と言っても過言ではない
 非人道的な制度でした。
 そして、「慰安婦」問題を考えるにあたって重要なことは、
 廃業の自由のない売春生活につけこまれて
 「慰安婦」に徴集された女性たちがいたということです。

 

 貧乏なんだからしょうがないだろう。

 それともなにか。

 貧困層の女性は全員を生活保護の受給対象にして、売春しなくて良いようにしろ!とでも言うのか。

 それこそ脳味噌御花畑の妄言だ。 生活保護制度なんてものは、潤沢な予算が確保できて初めて実 現する。

 当時の日本にそんなことは不可能だ。 (というか、今の日本にだって不可能だろう)



 娼妓・芸妓・酌婦などから「慰安婦」に徴集された事例

 実は、娼妓・芸妓・酌婦などの女性たちが、前借金の慣習を利用されて、
 軍や軍の命令を受けた業者たちに、「慰安婦」として徴集された事例があります。
 こうしたケースは今のところ日本人の「慰安婦」にしばしばみられたことが分かっています。
 つまり、「慰安婦」は公娼ではないけれども、もともと売春をしていた女性たちのなかから、
 「慰安婦」に徴集された人たちもいたのです。

 

 そんなことはアタリマエだ。

 公娼制度の売春宿よりも慰安婦の方が報酬が高いと公示されていたんだから、ガチでプロの売春婦 が仕事場を慰安所に変えるのは当然。 やることは同じで報酬が桁違いなのだから、慰安婦に成らな い方がどうかしていると思うぞ。



 たとえば、警察庁関係史料のなかに、
 1938年初頭、群馬、山形、高知、和歌山、茨城、宮城などの各県内で、
 神戸や大阪などの貸席業者たちが、上海の陸軍特務機関から依頼されて、
 酌婦の女性たちを上海派遣軍内陸軍慰安所で働く「慰安婦」として集めていたことがわかる
 史料があります。
 彼らは前借金を支払って女性を集めていました
 (女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第1巻,
  龍渓書舎,1997年,3〜112頁。
  永井和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『20世紀研究』1号,2000年も参照)。

 

 だから何?って話なんだが。

 プロの売春婦が、景気の波で客の数が増減する内地よりも、兵隊さんというブ厚い客層と超高額の 報酬に期待して職場を変えることの何がオカシイ。

 その酌婦とやらが、
 「『慰安婦』という名の売春婦になんかなりたくない。
  私は売春もありの『酌婦』のままが良い」
 と言っているのに無理やり「慰安婦」にしたというならまだしも、そういう風に忌避したという記録があ るのか? ないなら、黙っていたまえ。



   [ 画像:警察庁公表資料(和歌山) - 省略(引用元アドレスをご参照ください)

   警察庁関係資料から。和歌山県のもの。


 また、かつて慰安所担当軍医や慰安所係であった人々の手記からも、
 公娼制度下の業者たちが慰安所設置や女性の徴集に協力していたことがわかります。
 たとえば、長沢健一『漢口慰安所』(図書出版社,1983年)、
 吉田清吉『武漢兵站―支那派遣軍慰安係長の手記』(図書出版社,1978年)
 などでは、大阪や神戸の遊郭の業者やその関係者たちが、軍の命令を受けて
 漢口の慰安所に女性を連れて出店したことが明記されています。
 そして,慰安所経営者の経営方法に対して軍部が管理・監督をしていたことが
 明確に証言されています。

 

 これまた、だから何?って話で困る。

 狡くて悪辣な朝鮮人女衒の自由にさせたら、慰安所本来の目的である安全で衛生的な売春宿ではな くなってしまう。 それは日本軍兵士の為にならないばかりか、折角、「慰安婦」に応募してくれた売春婦 の皆様に申し訳ない。 そればかりか、もしかすると不衛生な慰安所を嫌った日本兵が現地の女性に 対して強姦するかも知れない・・・だから軍が管理・監督していただけである。



 「慰安婦」被害者の女性たちの残した証言からも、
 娼妓・芸妓・酌婦などの女性たちが軍によって「慰安婦」に徴集された事例が明らかです
 (代表的なものとして,
  千田夏光『従軍慰安婦』,『従軍慰安婦・慶子』,城田すず子『マリヤの賛歌』かにた出版部,
 1971年)。
 たとえば、1925年に生まれ、貧困のため子供のころ
 東京の芸者置屋に300円の前借金で売られ、「菊丸」という名で芸者をしていた山内馨子さんは、
 置屋の借金を軍が肩代わりしてくれると聞いて「慰安婦」になることを決め、
 1942年3月、「トラック島」に渡っています
 (広田和子『証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭』新人物往来社,
  1975年など)。
 彼女の借金は4000円に上っており、返済の見込みがなかったからです。
 「死んだら靖国神社に入れてもらえる」「お国のために役立てる」と考えたことも
 「慰安婦」徴集に応じた理由でした。

 

 肝心の事を書け。

 

   日本人慰安婦の証言
   http://www.tamanegiya.com/nihonnjinnniannfu20.8.27.html

   《前略》
   >
   > 以下、その「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」より、
   > 芸者菊丸さん、本名山内馨子さん(大正14年青森県生まれ)についてです。
   > 山内さんは、10歳のときに芸者置屋の仕込っ子として東京に売られ、
   > 1942年3月、満18歳の時に、西小山で芸者をしているとき、
   > 置き屋の借金を肩代わりしてくれるということで、朋輩と二人でトラック島に渡る。
   > その山内馨子さんの証言として
   >
   > 「あの当時で四千円近い借金があったの(葉書が二銭のころ)。
   > 芸者というのはお金がかかるのよ。 着物一枚買うにも借金だし、
   > 踊りや三味線も習わなきゃならないでしょ。 お座敷に出るときには島田に結うの。
   > 蕕つけだとか、元結、たて長など使うので、結う度に一円近くかかってしまう。
   > だから借金は増えるばかりだったわ」p19
   >
   > 「契約は一年半。
   > (略)
   > 働いたお金は四分六分で四分が自分のもの、
   > (略)
   > 帰国したときに、借金を返したあと一万円くらい残ったかしら」p24
   >
   > つまり、この山内馨子さんという慰安婦は当時で四千円近い借金があったが、
   > 一年半働いたのち、借金を返したあと一万円くらい残った。
   > そして、野口幸一氏という日本兵だった方の証言として、
   > 百円の前借金が抜けないでトラックに来た慰安婦が、その金を三カ月で返した
   > という証言や、仮名ながら、一年で前借金の2300円を返しただけでなく、
   > 一万円の貯金ができていたという証言が掲載されている。

 はい、完全な職業売春婦です。



 このように、芸妓・娼妓・酌婦だった女性たちが「慰安婦」になるケースがあったのです。
 ただしここで強調しておきたいことは,もともと売春婦だった女性が「慰安婦」になったから
 といって,「性奴隷」でないことにはならないということです。
 なぜなら、すでに述べたように、戦前日本で売春をしていた女性たち、
 つまり娼妓・芸妓・酌婦自体が、本来ならば許されないはずである,廃業の自由のほとんどない
 「性奴隷」状態に置かれていたからです。

 

 んじゃ、日本中のソープを回って、イケメン屑DQNの借金を肩代わりして風呂に沈んだとか、友人の 借金の連帯保証人になって風呂に沈んだとか、そういう可哀想な嬢を救ってやれ。

 嬢に金を貸している金融屋に

 「 この娘はお前の借金のカタに売春を強いられている。
  これはお前等が売春を強制してるに等しい。
  この娘たちは本日付けを以て自由の身とする。 借金は勿論、棒引きだ。
  文句があるなら、警察を呼べ。 お前らのやっていることは犯罪だ」

 と言って可哀想な嬢を救ってやれ。

 借金を返せるだけ稼いでいたが、儲かるので尚も売春婦を続けていたかも知れない過去の自称被 害者を救済するのは、その後で十分だ。



 廃業できる見込みのない状態に置かれ、世間からさげすまれていた彼女たちから見れば、
 その状態から抜け出すために、軍が借金を肩代わりしてくれる、「お国のために役立てる」という
 条件は魅力的に映ったことでしょう。
 実際には彼女たちは死んでも靖国神社には入れてもらえず、生きて帰って来ることができても
 「慰安婦」だった過去がわかると世間からさげすまれ、苦難の戦後を送らざるを得ませんでした。

 

 軍人が軍組織の指導に基づいて、
 「慰安婦に成れば御国のお役に立てて、死んでも靖国に祀って貰える」
 と言ったという証拠を出せ!

 “軍人が個人の判断で勝手に言った可能性がある記録”

 ではなく、

 “軍人が軍組織の指導に基づいて言ったと書かれた記録”

 を出せ。

 え?だせない?

 じゃあ、教えてあげようね。 そういうのを世間一般では“妄想”と言うんだよ。



 つまり、日本軍やその命令を受けた業者たちは、
 彼女たちの苦しい境遇につけこんで「慰安婦」に動員し、
 いいように利用したあげくに捨てたのです。

 

 だから妄想を垂れ流すなっちゅうの。

 捨てたも何も日本は戦争に負けたんだ。

 歴史に i f は厳禁だが、それでも、もし日本が戦争に勝っていたら条約を破ってソ連軍が参戦するこ ともなく、帰国の途を抗日組織に襲われる事もなく、軍票が紙切れになる事もなく、良く稼いだ慰安婦 は、残りの人生を悠々自適に過ごしたことでしょう。

 そう考えるなら、慰安婦を最終的に不幸にしたのは米軍です。

 文句があるなら米軍に言いなさい。



 このように、「慰安婦」制度は公娼制度とは別物ではありますが、
 「性奴隷」制度という点で関係があったのです。
 したがって、私たちは「「慰安婦」=「公娼」だから性奴隷ではない」と言っている人々の
 無知と人権意識の低さを問題にしてゆかなければなりません。

 

 そもそも高給を払って貰える奴隷という存在を何の疑問にも思わない無知 ―― というより知能の低 さ ―― に軽い眩暈さえ覚えるわ。

 借金抱えている奴が(売春以外に大金を稼ぐ手段を提示できないのに)借金を完済せずに辞めるこ とが出来ないのは奴隷制度でも何でもない。 今の日本は管理売春が禁止されているが、当時は合法 だったのだから、そんなものはタダの経済行為でしかない。

 時代考証が全く出来ずに、現在の感覚で当時を弾劾するサヨクの“無知”と、天候不順で農作物が不 作だったら死を覚悟しなければならなかった当時の農村部に“人権”を持ち出して日本を悪者にするサ ヨクの“人権”濫用を、サヨクではない我々は問題にしていかなくてはなりません。


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