Q&A を斬る



Q&A 4 日韓関係・植民地支配
 - 1 そもそも韓国併合とは? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=2567 ( 魚拓 )

 このページは、webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』が開 設された2013年08月01日時点で存在しなかったページです。

 いつ追加されたのか?は、サイト内に履歴が無いので分かりません。


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。




 日本による韓国併合は合意にもとづいたものだったとか、平和的に行われたという議論が
 ありますが、実態はどうだったのでしょうか。

 1910年8月に行われた 「韓国併合」 とは、「韓国併合ニ関スル条約」 を結んで
 大日本帝国が大韓帝国を廃滅させ、直轄植民地として自らの版図に編入したことをいいます。

 

 分かって書いているんだと推察されるが、 [ 併合 ] と [ 植民地 ] は違う。

   YAHOO!知恵袋「普通の植民地支配と日本行ったの併合の違いを教えてください。」
   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1145862841

   > tracequatesさん
   >
   > 普通の植民地支配と日本行ったの併合の違いを教えてください。
   >
   > ときどき、インフラ整備などをしたといっている方を見ますが、植民地支配をするなら
   > それくらいは当然他の国もしているのではないでしょうか?
   > 言語の教育も、ハングルではなく日本語を教えていたと聞いたことがあります。
   >
   > 質問日時:2010/8/25 10:16:31

   > ベストアンサーに選ばれた回答
   > mydpx888さん 回答日時:2010/8/25 14:31:51
   >
   > 普通の植民地支配は、主に宗主国の経済を潤わせるために行われており、
   > 現地の民を労働力にして大規模な農場や炭鉱などを経営し、植民地の民と宗主国の民を
   > 明確に区別していました。
   >
   > 日本の行った併合は、朝鮮を日本の延長とみなし、日本で行われている統治に近い
   > 統治がなされました。
   > もちろん、文化や習慣の違いがあるので全く同じというわけではありませんし、
   > 朝鮮人は日本への忠誠心が疑われたので、それなりに区別はされました。
   >
   > 日本も他の植民地保有国もインフラ整備をした点は同じですが、日本と異なり他の国は
   > あくまで本国に移送する物資の運搬など、自国の利益のみを追求したものだったのに対し、
   > 日本のインフラ整備は現地人の利益にもなりました。
   > もちろん、日本も自国の利益を第一に考えていた点は同じですが、
   > 現地民の利益になった点は否定できません。
   >
   > 鉄道や道路・橋などについては、上記のようにさほど違いませんが、
   > 日本と他の国とで決定的に違うのは、学校教育を行ったかどうかという点です。
   > 日本は韓国併合後、一般の朝鮮人も原則として学校教育を受けることを義務化しました。
   > 韓国の朴元大統領は、
   > 「 自分は貧農の出で本来は学校へ行けなかったけど、日本が義務教育をしてくれたおかげで
   >  学校で教育を受けてここまで出世できた 」
   > と述懐しています。
   > また、フィリピン人は
   > 「 アメリカは我々に鉛筆の作り方さえ教えてくれなかったのに、
   >  韓国は日本にここまで教育させてもらって何が不満なのか 」
   > と言っています。
   >
   > もちろん、韓国人が皇民化教育によって誇りを傷つけられたと主張するのは分かりますが、
   > 朝から晩まで天皇陛下万歳の教育ばかり受けたわけではなく、韓国の発展に役立つ教育も
   > たくさん受けたはずです。 それを無視して悪い面ばかり非難するのはどうかと思います。
   >
   > また、言語についても日本語と並行してちゃんとハングルを教えていました。
   > 確かに統治末期の数年間だけは学校でハングルの授業がなくなりましたが、
   > もともと漢字ばかり使用して廃れていたハングルの教育を行ったのは日本です。
   > ネット検索すれば、日本統治時代に朝鮮の学校で使用されたハングルの教科書の画像も
   > いくつか出てくるはずです。
   > 日本が朝鮮語を奪ったという韓国の主張は真っ赤な嘘なので信じないでください。
   >
   > 昭和15年1月18日の朝鮮日報
   > http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/ChosunIlbo_%28Ja...
   >
   > 日本統治時代の朝鮮語の教科書
   > http://photo.jijisama.org/hg.html ( 消えています )

   > mekuriya394さん 回答日時:2010/8/25 11:59:25
   >
   > 日本は1936年のベルリン・オリンピックに、
   > 朝鮮半島出身の孫基禎選手、南昇竜選手、金容植選手らを送り出した。
   > 三人とも日韓併合後に生まれました。
   > 孫基禎選手はアジア人初の男子マラソン金メダリストになり、
   > 南昇竜選手も銅メダリストになった。
   > サッカーの国際大会に、日本が初めて参加したのが、この大会です。
   > その大会で日本は強豪のスウェーデンを破るという大番狂わせを演じ
   > 「ベルリンの奇跡」 として今も語り草になっている。
   > その原動力がボランチを務めた金容植選手です。
   >
   > 植民地支配をするならそれくらいは当然他の国もしている?馬鹿も休み休み言ってもらいたい。
   > オランダ選手団に加わったインドネシア人選手はいますか?
   > フランス選手団に加わったベトナム人選手はいますか?
   > イギリス選手団に加わったインド人選手はいますか?
   > インドネシアもベトナムもインドもメダルを獲得したのは、戦後独立してかなり後のことです。
   > フランスは19世紀からだけど、オランダ・イギリスはいったい何百年、インドネシア、インドを
   > 植民地にしていたとお考えですか?
   >
   > ところでハングルは文字であって言語ではない。
   > そのハングルを朝鮮人に教えたのは日本です。 東亜日報は1920年ハングルで創刊しました。
   > 李氏朝鮮の時代に朝鮮半島には新聞など存在しない。 ハングル教育もない。
   > その朝鮮半島に新聞が創刊できるほどにハングルを普及させたのが日本の教育なのです。
   > 1883年に創刊された漢城旬報があったから 「新聞など存在しない」 というのは
   > 言いすぎかも知れないが、それは旬報という名のように10日に一度の発刊で
   > 漢文の記事でした。
   > 福沢諭吉の弟子、井上角五郎が日本から印刷機や新聞用紙を持っていって、
   > 朝鮮人に新聞づくりを一から教えて始めたものなのです。
   > 日韓併合のはるか前から朝鮮の近代化に貢献した日本人がいたことを忘れてはいけない。
   > インドネシア、ベトナム、インドにそんなことなどありはしない。
   > オランダ人もフランス人もイギリス人もそんなことに手を貸した人間など誰もいない。


   教えて!goo「韓国は日本の植民地だったという表現は正しい or 誤り?」
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1744451.html

   > Q 質問
   >
   > ネット検索をしていて疑問に思いましたので教えてください。
   >
   > 「韓国は合法的に併合されたのだから植民地ではない」 という人がいるかと思えば、
   > ニュースなどでは植民地という言葉を使っているので混乱しています。
   >
   > どちらが正解なのでしょうか?
   >
   > 質問者:noname#21423 投稿日時:2005/10/29 23:04

   > No.2 ベストアンサー10pt
   > 回答者:Sombart 回答日時:2005/10/29 23:55
   >
   > 「植民地」 という単語の定義を各自が勝手にやっている上に、それを明確化しないという
   > 卑劣さが混乱の理由です。
   >
   > 本来、「植民」 とは農業を行う自国民が国外に農地を持って農業に携わるという意味です。
   > 古代ローマがそうでした。が、プランテーションという言葉で表現される、大規模単一作物の
   > 作付けをして苛斂誅求と言える現地人収奪をするいわゆる 「帝国主義」 的植民地の方が
   > メジャーになった結果、「植民地」 という単語には悪いイメージが付きました。
   >
   > で、日本の韓国に対する態度は、この 「帝国主義」 的植民地とはまるで違い、
   > むしろ古代ローマに近いものです。
   > 自腹を切ってインフラを整備し、現地の人々を自国民と同化していこうという方針だった
   > のですから。
   >
   > そういう、定義のギャップの問題ですね。
   > ある意味、どちらも正解なのですが、反日の人たちが
   > 悪いイメージを日本になすりつけようとして「植民地」という単語を
   > 他者に誤解させる意図で使っていると理解すると、混乱は解消します。

   > No.5 ベストアンサー20pt
   > 回答者:Bird1979 回答日時:2005/10/30 01:08
   >
   > こんばんは
   > #2さんご指摘のように 「植民地」 の定義は大切でしょう。
   >
   > ところで私としては、別の視点で書いてみたいと思います。
   > 「植民地でない」 ということは 「内地=本土」 と同じ、と解していいかと思います。
   > また 「同化」 ということであれば、日本国民 (臣民) と同等、というのが論理的帰結でしょう。
   > ところで、日韓併合後の朝鮮では、日本人と朝鮮人との間には法的な区別がありました。
   > 日本国籍は認められますが、官吏(公務員)への道や、居住・移転については
   > 制限が多かったこと。
   > 特に参政権については (朝鮮における就学率、識字率の低さにも原因があるとはいえ)
   > 終戦直前まで認められませんでした。
   > このような法的不平等と寺内正毅総督に始まる軍・警察を主体とした統治方法は、
   > 「植民地支配」 といわざるを得ません。
   >
   > しかし 「結果」 だけですべてが割り切れるか、現在の基準から過去を 「断罪」 できるか?
   > という疑問もあります。
   > (一方では、「歴史は結果がすべて」というのも正しいでしょう。)
   > 私としては 「植民地」 であったか否かとともに、
   > 「 日本の統治のどこに、将来(=現在)に禍根を残すような欠陥があったのか 」
   > を問う視点も必要ではないかと思います。
   > 「もっとうまくやればよかったのに」 ということではありません。
   > 当時の日本のアジア観や政治手法、外交感覚など様々な点で
   > 現在を考える教訓になると思います。
   > ( ある意味、現在の日本の中韓外交は、当時の日本の政治外交の
   > 「検証なしの裏返し」ではないかと個人的には思っていますから )

 ポイントは

 > 「植民地」 という単語の定義を各自が勝手にやっている上に、
 > それを明確化しないという卑劣さが混乱の理由です

 にあります。

 侵攻し、あるいは政治的取引によって新たに自国の領土となった土地。 そこに住む他民族をどのよ うに扱えば“植民地”と呼ばれ、どのように扱えば“併合”と呼ばれるのか、そのガイドラインは何処にも ありません。

 ですから

   2012年11月09日 歴史的@2ch
   「植民地支配」と「併合」は違う。
   http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/19945113.html

   > 1 :マンセー名無しさん 2011/05/16(月) 20:39:37.48 ID:fNP8f7gn
   > ということを、左翼はもとより、知識の浅いネトウヨすらも理解していない。
   >
   > 植民地支配:
   > その国や地域の領有権は主張するけれど、そこに住む人は自国民としては認めない。
   > 自国民と同じ権利や法益は与えない。 でも義務だけは課す。
   > 指示した作物や製品を都合よく作らせて安く買いあげる。
   >
   > 併合:
   > その国や地域を完全に自国と同化する。
   > 住人は自国民として扱い、同じ権利と義務を与える。
   > 教育も公共事業も行政サービスも、自国民と同じように提供する。
   >
   > 例えば、
   > 左翼A 「 日本は韓国を植民地にした、謝罪しなくてはならない 」
   > という発言に反論するに当たって、
   > ネトウヨB 「 欧米を見ろ、当時は植民地はどこの先進国でもやっていただろ、
   >        日本だけが悪いわけじゃない 」
   > ・・・ などと答えたらそれはもう引っかかったようなもの。
   > 左翼A 「 じゃあ植民地支配していたことは認めるんだね?
   >      搾取の対象として扱っていたことは事実だよね?」
   > と言われればもうBは反論できない。
   >
   > だから、
   > 左翼A 「 日本は韓国を植民地にした、謝罪しなくてはならない 」
   > に対する正しい答えは、
   > まともな保守派C 「 植民地という時点であなたは前提から間違っている。
   >             これは同意の上での併合であり、欧米の植民地支配とは
   >             全く性質の違うものだ 」
   > と言わなくてはならない。
   >
   >
   > 浅薄な知識で左翼の誘導に引っかかって撃破されまくるにわかネトウヨは、
   > まともな保守派から見ると敵に利する存在であると言わざるを得ない。
   > ネトウヨも考え方の筋は間違っていないんだから、もっと勉強しなさい。

 という書き込みに対して

   2010年06月20日 現代史のトラウマ
   「植民地化=Colonization」と「併合=Annexation」
   http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/colonizationann.html

   > 「対満政策私論(昭和二年十一月二十九日)」(在奉天日本総領事館)という文書が、
   > みすず書房の『現代史資料 7 満洲事変』に収録されている。
   >
   > 文中に、
   >
   >  第二、移民問題より見たる満洲
   >  一、現在日本の人口問題
   >     対満植民の要を述ぶるに先ち帝国現在の人口問題を一覧せんに
   >     大正十四年十月国勢調査に依る我国人口数は内地五千九百七十万、
   >     植民地即ち朝鮮千九百万、台湾四百万、樺太二十万、計八千三百五十万なる
   >     処其将来の発展率に付ては専門的攻究を要すべきも
   >     過去の増加率に依る推定方法に依るに左の如し(一調査に依る)
   >
   > …という記述があるのが興味を惹いた。
   >
   > > 植民地即ち朝鮮千九百万、台湾四百万、樺太二十万、計八千三百五十万なる処…
   >
   > …というフレーズを読んで(「植民地即ち朝鮮」というフレーズの話である)、
   > 不信感を抱く方は多くはないと思われるが、世の中には怪説も出回っているのである。
   >
   >
   >  【本当に半島を植民地化したのか?】
   >
   >  韓国の教育による歴史改竄手法の一つに「不適切な用語の適用」がある。
   >  1910年の日韓併合を(当時は朝鮮併合)「植民地化」と表記する。
   >  英語表記をすれば、植民地化=Colonizationであり、併合=Annexationである。
   >  この二つの歴史用語の意味する統治概念や対応する史実は全く異なる。
   >
   >  ・ 「併合」
   >   自国化が目的。
   >   獲得地域に本土と同じ生活環境を整備し、
   >   住民を本土国民と同じ権利義務を持つ人として扱う。
   >   その統治の基本方針は同化。
   >
   >  ・ 「植民地化」
   >   経済的収奪が目的
   >   その為の開発だけが行なわれ、植民地住人は労働力として位置づけられる。
   >   その統治の基本方針は本国の収益の最大化。
   >   日本による数々の朝鮮半島併合後に行った近代化事業を見れば、
   >   日韓併合の実態は、将に自国化(Annexation)である。
   >   実態と違う 「植民地化」 表記は日本的な誠実さや穏健性を隠蔽、
   >   日本が朝鮮半島を奴隷的に支配したかの様な負のイメージを目的としている。
   >
   > … なぁんて話がマコトシヤカに語られているのである。
   >
   > 読んでしまった以上、そしてそのインチキを理解してしまった以上、
   > 「現代史のトラウマ」サイドとしては見過ごすわけにもいかない。
   >
   > そんなヨタ話を読んで最初に考えたことをまず記しておく。
   >
   > まず何よりも、大日本帝國における国家官吏養成システムとしての
   > 当時の各帝国大学において、「植民政策学(”colonial studies” だ!)」の講座が
   > 開設されていたという歴史的事実の意味するところをよく味わっておくべきだということ。
   >
   > 帝国大学における 「植民政策学」講座の開設は、
   > 大日本帝國にとっての植民地経営という題に対する官学側の対応として
   > 理解しておく必要がある。
   > 「植民政策学」の研究対象となったのは、
   > 先行帝国主義諸国の植民地経営の技術・実態であったと同時に、
   > 台湾、朝鮮、満洲等の調査研究であったという事実をどのように考えるのか?
   >
   > 帝国大学という、大日本帝國の国策と不可分の教育研究システムにおいて、
   > 台湾、朝鮮、満洲等が「植民政策学」の研究対象であったことは、端的に言えば、
   > それらの地域を、大日本帝國自身が、自らの植民地として「イメージ」していたことの
   > 証として理解しておくことが妥当に思える(それ以外に考えようがあるだろうか?)。
   >
   >
   > 引用・紹介した文章にある、
   >
   >  実態と違う「植民地化」表記は
   >  日本的な誠実さや穏健性を隠蔽、日本が朝鮮半島を奴隷的に支配したかの様な
   >  負のイメージを目的としている。
   >
   > … という主張は、朝鮮半島をも「植民政策学(colonial studies)」の研究対象としていた、
   > 大日本帝國の負の現実(イメージではなく)を隠蔽する機能を果たすものであり、
   > 「誠実さ」からは遠いものと言わざるを得ない。
   >
   >
   > 日本の朝鮮半島支配が、「自国化(Annexation)」という用語をもって語られるべき
   > という主張は、領有・統治方式の比較分析という観点からは意味あることかも知れないが、
   > しかしその前に、大日本帝國が朝鮮半島に注いだ視線が、あくまでも、
   > 「植民政策学(colonial studies)」によるものであったという事実の意味を
   > 把握しておくべきであろう。
   >
   > 「植民政策学(colonial studies)」の観点からは、
   > 「併合=Annexation」は、「植民地化=Colonization」の一形態として理解されるものであった、
   > というだけのお話に思える。
   > わかりやすく言えば、大阪人が日本国民に含まれるように、
   > 「併合」は「植民地化」に含まれる概念なのである。つまり、
   >
   >  この二つの歴史用語の意味する統治概念や対応する史実は全く異なる。
   >
   > … ということにはならないのだ。つまり、
   >
   > 大日本帝國が「併合」という型式で韓国(朝鮮)を「植民地化」した
   >
   > … と「史実」を記述するのが、「この二つの歴史用語の意味」の正しい理解の仕方
   > なのである。
   >
   >
   > ちなみに、『ウィキペディア』の「植民政策学」の項には、
   >
   >  植民地統治を行う立場から、その下での諸政策を研究する学問
   >
   > … と、きっぱり・あっさりと書いてあったりするのであった。
   > もっとも、 ”colonial studies” を直訳すれば「植民地研究」になってしまうという
   > ミモフタモナイお話ではあるわけで、その ”colonial studies” の講座の中で、
   > 朝鮮や台湾が研究対象となっていたという、実に何ともミモフタモナイ話であったわけだ。
   > ( その後、ふと思いついて『政治学辞典』の「植民政策」の項目に目を通してみたのだが、
   >  その結果は……この記事末尾の「追記」でお楽しみ下さい )
   >
   > … なんてことを考えながら、ヨタ話でありながらも、そのマコトシヤカさの演出ぶりに
   > 感心させられてもいたのであった。
   >
   >
   > まぁ、「植民政策学」の存在という視点(あるいは論点)には、
   > ヨタ話へのストレートパンチとは言い難いところがあることも確かだ(註1)。
   >
   >
   > しかし、今度は、
   > 在奉天日本総領事館員(つまり大日本帝國政府外務省に所属する公人である)が自ら、
   >
   >  植民地即ち朝鮮千九百万、台湾四百万、樺太二十万、計八千三百五十万なる処…
   >
   > … と、当たり前のこととして書いている文書に行き当たったというわけだ。
   >
   >
   > 「対満政策私論」の「私論」という文言にこだわり、
   >
   >  「植民地即ち朝鮮…」という認識も、その館員の個人的なものに過ぎないのでは?
   >
   > … なんていう反論をするおバカさんの出現も想像がつくが、
   > それでは読解力の貧困を自ら語ることになるだけの話だ。
   >
   > 「対満政策私論」中の問題の文章は、
   >
   >  対満植民の要を述ぶるに先ち帝国現在の人口問題を一覧せんに…
   >
   > … という言葉で始められている。
   > つまり、この「私論」は、本論として「対満植民の要を述ぶる」ことが目指されるという
   > 構成の下に書かれているということだ。
   > 文書の筆者の「私論」としての主張部分は、
   > つまり私的な認識として読まなければならないのは、その「対満植民の要を述」べた
   > 本論部分なのであって、「帝国現在の人口問題を一覧せんに」という言葉と共に
   > 示されている認識は「本論」展開の前提に過ぎず、当時の外交官としての共通認識が
   > 表現されているものとして理解すべきなのである。
   >
   > この場合、「植民地即ち朝鮮…」という認識を、
   > 単なる大日本帝國の公務員としての常識を示した(洩らした?)ものとして
   > 理解・解釈することが、基本中の基本とでも言うべき文章読解上の技術なのである。
   > つまり、文脈の中で個々の表現は理解されなければならない、ということだ。
   >
   >
   > つまるところ、
   >
   >  韓国の教育による歴史改竄手法の一つに「不適切な用語の適用」がある。
   >  1910年の日韓併合を(当時は朝鮮併合)「植民地化」と表記する。
   >
   > … という主張(ヨタ話)の前に、在奉天日本総領事館員の手による、
   >
   >  内地五千九百七十万、植民地即ち朝鮮千九百万、台湾四百万、樺太二十万、
   >  計八千三百五十万…
   >
   > … という記述、「韓国の教育」の影響下にありようのない記述が立ち塞がるというわけだ。
   >
   >
   > いずれにしても、
   >
   >  実態と違う「植民地化」表記は日本的な誠実さや穏健性を隠蔽、
   >  日本が朝鮮半島を奴隷的に支配したかの様な負のイメージを目的としている。
   >
   > … という主張が、当時の大日本帝國当局者自身の認識の「実態」を反映していないことは
   > 明らかだろう。
   > 「植民地即ち朝鮮…」という、大日本帝國の国策遂行者にとっての
   > 常識的認識のあり方の「隠蔽」を「目的」とした主張と考えておくことが妥当に思える。
   >
   > しかし、「日本的な誠実さ」とはどのようなものなのだろうか?
   >
   > 大日本帝國によるかつての植民地支配を事実として認めることこそ、
   > 「誠実さ」の発露だと思われるのだが、「日本的な誠実さ」とは、そのような態度とは
   > 別のものなのだろうか?

 というツッコミが成立してしまう。

 “植民地支配”の具体的な定義が存在しない以上、

   自国化が目的。
   獲得地域に本土と同じ生活環境を整備し、
   住民を本土国民と同じ権利義務を持つ人として扱う。
   その統治の基本方針は同化。

 という“慈愛に満ちた植民地支配”だって有りになってしまうのです。

 しかし、こと朝鮮半島に関しては“植民地”であったのか、それとも“併合”であったのか、これが容易く 決着します。

 

   2008年11月07日 トラネコ日記
   日韓併合の世界的評価 その2・併合は植民地支配ではない
   http://ryotaroneko.ti-da.net/e2188933.html

   > 日韓併合は植民地ではない。
   >
   > 盛んにあの異常な国は「日帝の植民地支配」と繰り返すが、
   > 植民地の条件は地下資源や産業資源がある、商品経済を流通させる市場がある、
   > 植民地工場で生産に関われる現地人の教育があるなどの条件があって、
   > 植民地としての 「旨み」 があるのだ。
   >
   > ところが・・・・・・
   >
   > ♪ 資源はない、市場がない、文明も文化も産業もない
   > ♪ ないない尽くしの不毛の国、
   > ♪ おらこんな国ヤダ〜、おらこんな国ヤダ〜、日本サア出るだ〜♪
   >
   > むかし吉幾三の歌にこんなのなかっただろうか・・・・
   >
   > 朝鮮半島は植民地としての旨みなど皆無である。
   > 日本は半島経営に毎年赤字に悩まされていたのだ。
   > 植民地って普通儲かるんだが、大損してるんだな・・・
   >
   > さらに日本は欧米のような奴隷制度や奴隷売買の市場などないから、
   > 韓国人がよく言うような国策で奴隷的酷使をした事実もない。
   > 一部 「タコ部屋労働」 があったじゃないか、という突っこみも出そうだが、
   > タコ部屋労働は別に朝鮮人のみに限ったことではなく、大勢の日本人も含まれている。
   > これは戦時徴用やいわゆる「従軍」慰安婦と同じである。
   >
   > ちなみに韓国学者は今だに、女子挺身隊を「従軍」慰安婦だと言っている。
   > 女子挺身隊とは国家総動員法で勤労動員された女子学生や主婦層のことで、
   > 軍需工場や軍関係施設での労働部隊である。
   > しかも女子挺身隊組織は国の組織ではなく市町村の自治体の組織だった。
   > 「従軍慰安婦」 という造語の作者・千田夏光が女子挺身隊から強制的に慰安婦にされた、
   > と書いたのだが、それは全く事実無根であり証拠は確認されていない。
   > 千田夏光の完全創作であったのだ。
   > だから「従軍」慰安婦などとは全く関係ない組織だ。
   > ちなみに亡くなった私の母も勤労動員で呉の海軍工廠の事務員をやっていた。
   > 勤労動員は強制だが朝鮮人も日本人だから当然のことである。
   > これを強制連行などというのは事実のすり替えである。
   >
   > ちなみにアメリカなど、第二次大戦に参戦するやいなや、国内の民間工場も労働者も
   > 即刻、軍需産業に強制的に動員させられている。
   > 玩具工場は銃器を、食品工場はレーション(携行食糧)を生産転換させられている。
   > 総力戦とはそういうものである。
   >
   > 朝鮮人は一国で総力戦など戦った歴史経験がない連中だから、
   > 国家総動員法なんて理解できないのだろう。
   >
   > ついでに言っておくが、
   > 朝鮮王国も韓国も彼らの歴史の中で経験したほぼすべての戦争は、
   > すべて 「どこかの大国の威を借る属国」 で参戦し、ほとんどすべての戦争で負けた経験
   > しかない情けない民族である。
   >
   >
   > 植民地などという呼称は韓国には立派過ぎである。
   > 植民地の価値すらない役立たずの地域であった。
   >
   > 当時の日本は朝鮮半島などお荷物以外の何物でもなかった。
   > 朝鮮半島は自立不可能で、統治能力絶無の、完全に日本の「生活保護指定地域」だったのだ。
   >
   > 自国の国家予算を脅かすくらいの資本投下をする植民地など、
   > どの時代の世界にもあるはずないではないか。
   >
   > しかも 「人類史上まれに見る残虐非道な植民地支配」 の状況で、
   > どうすれば30年そこそこで朝鮮人の人口が2倍近くに増えるのだ?????
   > しかも呉善花氏によれば、当時朝鮮半島にいた日本人の数は朝鮮人口に対して、
   > 大正時代末期で約1%、昭和6年でも2.6%に過ぎない。
   > 軍隊も数千人しかいないし、警察官も朝鮮人のほうが多い。
   > そして半島の主要な行政府や公務員も朝鮮人のほうが昭和に入ってからは、
   > 圧倒的に多くなっている。 学校長や警察署長も朝鮮人が多い。
   >
   《中略》
   >
   > こんな状況で少数の日本人が朝鮮人に残虐非道な行為ができるだろうか?
   > もしこのような状況下でごく少数の日本人支配者によって、
   > 朝鮮人すべてが世界史上まれに見るような残虐非道な目にあわされていたとしたら、
   > よほど朝鮮人は弱小のヘナチョコ民族であった証拠である。
   > こんな弱虫が日帝への抵抗運動な出来るはずがないではないか?
   >
   > 先のイザベラ・バード氏の朝鮮紀行でも日清戦争後、日本によって独立させられた朝鮮は、
   > 日本の援助と指導によりどんどん近代化し、街も清潔になっていったとある。
   > 現在の南北朝鮮半島国家の戦後の発展の基礎はすべて日本が築いたものである。
   > 朝鮮人によって築かれたものなど何一つ存在しない。
   >
   >
   > はっきり言って日本が朝鮮人に謝罪する理由など一つも無い。
   > むしろ朝鮮人が日本に感謝すべきである。
   > 日本政府が馬鹿だからいつまでたっても、
   > 日本人悪人説(村山談話)がまかり通るのである。
   >
   >
   > ではなぜそうまでして日本は朝鮮半島を併合したのか? 答えは簡単である。
   >
   > 歴史的に南下政策により侵略の野望を拡大するロシア帝国から、日本本土を守るためである。
   >
   > このことは戦後日本を支配したD.マッカーサー自身が上院軍事委員会で
   > 日本の朝鮮半島や満州への大陸進出は、ソ連(ロシア)に対する国防のためであったと
   > 証言している。
   >
   > 実際日露戦争の原因はロシアが朝鮮半島内に軍事駐留し始め、軍事施設や軍港建設を
   > 始めたことによる。
   > 朝鮮王国が国家主権、主体性を毅然ともち、国防に尽力していればそうならなかった。
   >
   > また日本が清国から独立させてやった(下関条約第1条)のだから、
   > 朝鮮に一人前になってほしかったのだ。
   > しかし一人前になる能力もなく、そのままだとロシアに支配されるのは自明だったから、
   > 朝鮮王と総理大臣李完用の合議と、親日政治団体の一進会(100万人以上の会員)の賛成 で、
   > 自ら日本に併合されることを申し出たのだ。
   > 決して日本から武力で脅されていやいや申し出たのではない。
   >
   > 一万歩譲って武力で脅されて条約に調印したとしても、当時の世界は武力で何でも押し通す
   > 時代だったと先述した。
   > 武力で自国を守れなかった腰抜け弱小国家は、大国に支配されるしかなかったのだ。
   >
   > 日本は自立し、朝鮮はできなかった。それだけである。
   > 故に日本は武力で朝鮮併合したとしても、いまの韓国に謝罪する必要など
   > 1000000000パーセントないのだ。
   >
   > だから現在の韓国が日韓併合を不当だと訴えるなら、
   > お前らの情けない腰抜け先祖に言えよなっW
   >
   >
   > 現在の韓国は日韓併合時代の外交文書や公文書の資料などを、
   > 印刷販売、出版することを法律で禁じている。
   >
   > さてそれは何故だろう? なにか不都合なことでもあるのだろうか????????????????

 併合以前の朝鮮半島に植民地としての価値は無かった。

 だから“植民地”ではありえない。

 実に簡単なロジックである。

 そして、そんな無価値な土地に大金を投じて、本土の都心真っ青なレベルまで近代化した理由はロシ アの脅威である。

   韓国併合は悪ではない 〜日本と朝鮮の公平な歴史認識〜
   http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/annexion.html

   > 韓国併合とは1910年に当時の大韓帝国を併合し、日本領にしたことである。
   > はたしてこの韓国併合は悪であったのか?
   > それを考えるためには今現在の尺度で測っても無駄である。
   > 当時の尺度で測る必要がある。 現在の価値観で当時の価値観をはかっても意味がない。
   > その当時は朝鮮は重要な国防ラインであった。 とくにロシアの脅威は大きかった。
   > 1899年からの義和団事件以後に満州に兵を駐屯させたままで、
   > 国境が朝鮮と接していたのでロシアの脅威は大きかった。
   > 当時のロシアは不凍港を求めて南下政策を繰り返していたが、
   > 1853年のクリミア戦争に敗れた後に、アジア方面で南下を始めた。
   > 大韓帝国(当時の朝鮮)は親露派が権力を握っていて
   > 日本にとっては非常に大きな脅威であり、朝鮮にとってはロシアの植民地にされる可能性が
   > とても大きかった。
   > そこで1904年に日露戦争で日本はロシアに勝利し、朝鮮を保護国とすることに
   > 国際的に認められるようになった。
   > 1905年に第二次日韓協約で外交権を奪い事実上の保護国とした。
   > そして、1906年に朝鮮統監府を置き伊藤博文が初代統監になり
   > 朝鮮の近代化を推し進めていった。
   > そこで、日本国内では韓国併合賛成派と反対派 ( 当時の朝鮮の列強からの巨額の借金を
   > 肩代わりするのが嫌だった ) の分かれて議論を繰り返していたが、1909年に併合反対派の
   > 伊藤博文が安重恨ニいうテロリストに暗殺されたので、韓国併合がきまった
   > ( つまり、安重恨による暗殺によって韓国併合は早まった )。
   > ちなみに伊藤博文が暗殺されたときには朝鮮は謝罪使をおくっている。
   > そして、一時は会員数100万人を超える一進会の支持をうけて、
   > 大韓帝国の総理大臣李完用 (朝鮮のためには日韓併合しかないといっている) の支持も
   > うけて日本は1910年に韓国併合を合法的におこなった。
   > なお世界の国々はこの韓国併合にいっさい批判・非難をしていない。
   > どちらにせよ、その当時は近代化をしていない力のない国は
   > 先に近代化した国に呑み込まれるは当然のことであったし、そうせざるを得なかった。
   > また韓国併合をしなければ日本そのものも西洋の帝国主義諸国に呑み込まれていただろう。
   > もしロシアの植民地にでもなっていたら今日の韓国の発展などありえないであろう。

 ロシアの脅威に対抗するためには、日露戦争に勝利して朝鮮半島を容易に侵略できない地域に作り 替える必要があった。

 単に植民地が欲しかっただけなら、植民地に相応なインフラで十分だ。

 日本本土の太平洋工業ベルト地帯顔負けの重工業団地を造って、兵器を含む工業製品を生産でき るようにする必要なんか無い ( 併合反対派であった伊藤博文は、「保護国とするだけで十分。 朝鮮 半島に過大なインフラ整備なんか要らない」と考えていました。)
 しかし、それでは朝鮮半島とロシアの国境付近に、日本の軍隊をある程度大きな規模で展開させ続 けなくてはなりません。
 日本から海を隔てた上に南端から直線距離で三百キロ以上の彼方に駐留する軍隊、そんなものを 維持するのは大変です。 しかも、当時の日本と朝鮮半島の間には今の先進国と途上国以上の経済 格差があり、日本経済の恩恵に与れる事が朝鮮人の希望でした。
 そんな朝鮮半島を併合前の未開状態で放置して、対露の国境線近くに、日本人だけが日本国内と変 わらない暮らしをする兵站が出来たら、朝鮮人はどう思うだろうか。 激しい憤りを覚えるに違いない。  そうなったら、国境付近に展開する日本軍は、北はロシア軍の侵攻、南は朝鮮人の夜襲に備えなけ ればならなくなる。 だったら、朝鮮半島を丸ごと日本と同等以上の先進国に作り変えて、日本国として 経済も国防も機能させよう、と考えたのだ。

 しかも、大量の日本人を支配者として朝鮮半島へ送り込むのではなく、朝鮮人に教育を施して新たな 日本人として、日本国となった朝鮮半島を治めさせたのです。

   2011年11月14日 ちゃぬの裏韓国日記
   日韓併合時代は警察官の6割が朝鮮人だった
   http://ameblo.jp/chanu1/entry-11078024864.html

   > 『1945年の解放当時、約90万人の日本人が居住していた。』(中央日報2011年11月3日記事)
   > http://japanese.joins.com/article/232/145232.html?servcode=400§code=400
   >
   > ということは1942年の朝鮮半島の人口は2553万人だったため
   > 朝鮮半島での日本人が占める人口の割合は3.5%しかいません。
   >
   > 当然公務員などは日本人だけでまかないきれるはずもありませんから、
   > 現地の言葉のわかる韓国人を雇用するしかないわけです。
   >
   > 1910年当時、警察官の6割が朝鮮人でした。
   >
   >  警察官数:5693人(1910年末)
   >  日本人:2265人、朝鮮人:3428人
   >
   >  ( 尚、警務官が全3人中1人、警視が44人中14人、警部が268人中101人)
   >
   >  日本が韓国の警察制度の近代化に乗り出したのは、1910年になってからでした。
   >  警務総長には日本の憲兵司令官を当て、憲兵と警察を一元化しました。
   >  一般に韓国民衆を弾圧するためと即断されがちですが
   >  無差別に行われる韓国官憲の横暴や拷問を防ぎ、「義兵」などと称して行なわれていた
   >  山賊まがいのことや、親日派韓国人へのテロ、襲撃を防ぐためには、
   >  断固たる措置が必要であったのです。
   >  しかし日本人は語学ができず、民情にも疎いので憲兵・警察の補助要員として
   >  韓国人を募集しました。
   >  当時、日本人憲兵1007人、韓国人憲兵補助員1012人、
   >  日本人巡査2265人、韓国人巡査3428人で、いずれも韓国人の方が多かったのです。
   >  ところがこの補助員たちは、これまでの宿怨を日本の権力を借りて晴らすものが多く、
   >  悪弊を直すのに困りました。
   >  今村鞆著『歴史民俗朝鮮漫談』(昭和3年)には、
   >  『 朝鮮人は日本の両班取り締まりを感謝したが、
   >   下級補助員(補助憲兵、朝鮮人巡査、朝鮮人通訳)の横暴こそ、
   >   後の日本に対する悪感情を生んだ。
   >   いかに横暴だったか、驚くべき事例を沢山知っており、一冊の本ができる 』
   >  と述べています。
   >  ( 「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 1997年 国際企画刊 )
   >
   > たぶんその数は、年ごとに増えていったでしょう。
   >
   > 知事ポストの約4割を朝鮮人が占め
   > 郡長、村長に至っては、ほぼ全てのを朝鮮人が務めていたようですし、
   > 国会議員になった朝鮮人(朴春琴)もいますし、待遇は決して悪くなかったようです。
   >
   《以下略》

 これの何処が植民地なのだろうか。

 奪う物が何もない地を、本土の国家予算以上の大金を投じて先進国に作り変え、未開人であった土 人を先進国の民衆にまで引き上げたのだ。 こんな“植民地支配”なんか他にない。

 たとえ、“植民地”という言葉に具体的な定義が無くて

   自国化が目的。
   獲得地域に本土と同じ生活環境を整備し、
   住民を本土国民と同じ権利義務を持つ人として扱う。
   その統治の基本方針は同化。

 な“植民地支配”が言葉の適用として矛盾しなくても、これを“植民地支配”と呼ぶのは不適切である。

 日本は、朝鮮半島を植民地にして搾取することなんかしていない。 いや、したくても出来なかった。

 何も無かったんだから。

   日本は朝鮮半島を植民地にしなかった。 だからこそ、今現在の北朝鮮と韓国がある。

 これが歴史の真実だ。



 「韓国併合ニ関スル条約」 では、
 「韓国皇帝陛下は、韓国全部に関する一切の統治権を
 完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す」(第1条)
 と位置づけ、
 「日本国皇帝陛下は、前条に掲げたる譲与を受諾し、
 且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」(第2条)
 と謳っています。
 つまり、大韓帝国皇帝が韓国に関するすべての統治権を
 大日本帝国皇帝、すなわち天皇に譲渡し、天皇がこれを受諾して韓国を日本に編入するという
 論理構成になっています。
 韓国併合が合意にもとづいて行われたという主張は、この条約を前提にしているわけです。


   [ 画像:Q1_1_報知新聞号外韓国併合 省略 (引用元アドレスをご参照ください)
   韓国併合の内容を伝える日本新聞の号外


 しかし、この条約が結ばれた経緯を詳細に調べると、そうした 「合意」 の形成は
 危ういことがわかります。
 同条約は、日本が準備した条約案を韓国に受け入れさせたものだったからです。
 もちろん、韓国側が受け入れたのだから 「合意」 が形成されていると強弁することも
 可能かもしれません。
 しかし日本政府は、将来の日韓 「両国民ノ輯睦ヲ図ル」 ために日韓の 「合意」 の形式を
 整えることを重視する一方、もし韓国側が抵抗を示した場合には、威圧や一方的宣言によって
 編入を行うという方策もあわせて検討していました。

 では、なぜ韓国側が韓国併合に際して「抵抗」を示さなかったのでしょうか。
 確かに韓国併合時には大規模な抵抗運動は起きていません。
 その要因として、日本が韓国併合の断行に向けて軍隊や警察による警備態勢を強化させ、
 特に6月から警備部隊を順次ソウルに集結させ、首都地域の治安維持態勢を整えていたことを
 あわせて考える必要があります。
 韓国併合条約を統監として締結した寺内正毅は、この治安体制の整備について
 「軍隊、警察の威力と不断の警備は
 間接に〔併合が平穏に行われたことに〕多大の効果を示したるは亦争うべからざる事実」
 であると誇っていました(『韓国併合始末関係資料』78頁)。

 しかし、日露戦争による日本の韓国侵略以来、

 

   http://ja.wikipedia「日露戦争」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争 4 背景 - 4.1 朝鮮半島をめぐる日露対立

   > 大韓帝国は冊封体制から離脱したものの、満洲を勢力下においたロシアが
   > 朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。
   > ロシアは高宗を通じ売り払われた鍾城・鏡源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、
   > 関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増したが、
   > ロシアの進める南下政策に危機感 (1861年にロシア軍艦対馬占領事件があった為) を
   > 持っていた日本がこれらを買い戻し回復させた。
   >
   > 当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、ロシアは強大な軍事力を背景に
   > 日本への圧力を増していった。
   > 1904年2月23日、開戦前に 「局外中立宣言」 をした大韓帝国における軍事行動を
   > 可能にするために日韓議定書を締結し、開戦後8月には第一次日韓協約を締結、
   > 大韓帝国の財政、外交に顧問を置き条約締結に日本政府との協議をすることとした。
   > 大韓帝国内でも李氏朝鮮による旧体制が維持されている状況では
   > 独自改革が難しいと判断した進歩会は日韓合邦を目指そうと
   > 鉄道敷設工事などに5万人ともいわれる大量の人員を派遣するなど、日露戦争において
   > 日本への協力を惜しまなかった。
   >
   > 一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、
   > 日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。
   > 戦争中に密使が日本軍艦により海上にて発見され、大韓帝国は条約違反を犯すという
   > 失敗に終わる。

   

   http://ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争 4 背景 - 3 直前交渉

   > 1903年8月からの日露交渉において、
   > 日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、
   > いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。
   > しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や
   > 関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフらは、
   > 朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に
   > 興味を示さなかった。
   > さらにニコライ2世やアレクセイ・クロパトキン陸軍大臣も主戦論に同調した。
   > 常識的に考えれば、強大なロシアが日本との戦争を恐れる理由は何も無かった。
   > ロシアの重臣の中でもセルゲイ・ヴィッテ財務大臣は、戦争によって負けることはないにせよ
   > ロシアが疲弊することを恐れ戦争回避論を展開したが、この当時何の実権もなかった
   > 大臣会議議長(後の十月詔書で首相相当になるポスト)に左遷された。
   > ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、
   > 軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。
   >
   > 日本側では、この提案では日本海に突き出た朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、
   > 日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断した。
   > またシベリア鉄道が全線開通するとヨーロッパに配備されているロシア軍の
   > 極東方面への派遣が容易となるので、その前の対露開戦へと国論が傾いた。

   

   http://ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争 4 背景 - 6 大韓帝国

   > 開戦前の大韓帝国では、日本派とロシア派での政争が継続していたが、
   > 日本の戦況優勢を見て、東学党の系列から一進会が1904年に設立され、
   > 大衆層での親日的独立運動から、日本の支援を受けた合邦運動へ発展した。
   > ただし当初の一進会の党是は韓国の自主独立であった。
   >
   > 戦争後、ロシアによる脅威がなくなった朝鮮半島では日本の影響が絶大となり、
   > のちに大韓帝国は様々な権利を日本に委譲することとなり、さらには日本の保護国となる。
   > 1910年(明治43年)の日韓併合条約の締結により、大韓帝国は日本に併合し滅亡した。

 日本が日露戦争を開戦してロシアに勝利し、韓国を併合してインフラ整備を行ったのは、( 最終的に 日本の利益を目指した物であったにせよ ) 朝鮮半島からロシアの脅威を取り除く為でした。

 なぜなら、併合以前の朝鮮半島は遅れた途上国でしかなく、力のある国家が力のない国家を呑みこ んで植民地化することが至極当然であった当時に、朝鮮半島をそのままにしておくことは第二第三の 侵攻を招く事になります。

 つまり、日本は朝鮮半島を ( 日本以外の ) 他国から侵略されない様に保護したのであって、侵略し たのではありません。



 韓国併合に至るまでの期間、日本の支配に抵抗して義兵将らを中心に
 武力闘争が高揚していた歴史的事実を押さえておかねばなりません。

 日本は、植民地戦争とも呼びうる義兵戦争を鎮圧するために軍隊を増強し、
 徹底的に弾圧しました。
 日本の治安機構が編纂した『朝鮮暴徒討伐誌』によれば、1907年から10年末までの3年半で、
 義兵と日本軍との交戦回数は2,819回、14万人の義兵が参加し、義兵側の死者は17,688人に
 上りました。
 戦争の規模を死者数から単純に導くことはできず、あくまでも指標の1つにすぎませんが、
 この死者数は日清戦争時の日本の戦死者数約13,000人を大きく上回るものでした。
 さらに、この義兵側の死者数は、日本軍の死者数130名程度と桁違いに多くなっています。
 そのかけ離れた数字の差は、義兵をはじめとする朝鮮民衆に対する虐殺が
 日本軍によって行われた可能性を示しています。

 

 仮にも学者ともあろうお方が、何の根拠も示さずに

 > 義兵をはじめとする朝鮮民衆に対する虐殺が日本軍によって行われた可能性

 とは余りの暴論に開いたクチが塞がらない。

   wikipedia「義兵」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/義兵 - 1.2 後期義兵 - 1.2.2 後期

   > 右の写真はマッケンジー(en:Frederick Arthur McKenzie)が撮影したものであるが、
   > 『朝鮮の悲劇』にその内容が詳しい。
   > 武器の種類も様々で、指揮官、司令官も統率もなく、個々のグループが拡散して、
   > 別々に行動していた様子が伺える。

   

 烏合の衆である。

 こんなのがロシア軍を打ち破った日本軍に襲い掛かったのだから返り討ちに遭うのは当然だ。

 むしろ、こんなのに130名もの日本兵が殺されたことの方が驚きである。



 また1909年末には、最後の大規模掃討戦として 「南韓大討伐」 が実施されました。
 日露戦争以来、5年以上に及ぶ日本軍の掃討戦を経て、韓国併合時には
 朝鮮半島内には武装抵抗勢力がほとんど残っていなかったのです。

 

   YAHOO!知恵袋「日韓併合時に韓国側大々的な抵抗はあったのでしょうか?」
   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11118364261

   > gropu220さん 質問日時:2013/12/23 19:42:12
   >
   > 日韓併合時に韓国側大々的な抵抗はあったのでしょうか?
   >
   > 軍人がゲリラ化して抵抗が続いたとか、反対を訴える大デモはあったんですかね?

   > granzootさん   回答日時:2013/12/23 21:13:24
   >
   > ありません。 そもそも当時は李朝の搾取が酷すぎて民衆はそれどころではない状態・・・・。
   > 日露戦争までに起こった民衆の反乱は全て朝鮮王朝に対する反乱で
   > 日本は巻き込まれただけ・・・・。
   > 日韓併合と言うのはそもそも1909年の12月4日に「大韓帝国の最大結社」である一進会が
   > 「日韓合邦を要求する上奏文」 を大韓帝国皇帝・高宗と首相の李完用に提出し
   > 「対等な立場での日本との合邦」 を要求しました。
   > 理由は予算が行き詰り再び破綻の危機に瀕したため・・・・・。
   > しかし、この要求に対して大韓帝国の農商工大臣の宗乗oが
   > 「 日韓双方の国力の差、文明の程度の差から”日韓対等合邦”は事実上不可能であり
   >  ”連邦制”では欧米列強に対抗するような強固な国家は建設できない。
   >  したがって日韓が一体となり伍ず強固な国家を建設するには
   >  大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に移譲するのが最も現実的である 」
   > と主張して併合条約締結に向かう・・・・。
   > つまり、言い出したのも主体的に進めてきたのも朝鮮人で
   > 最も大きな併合への障害が総監府初代総監の伊藤博文だったわけです。
   >
   > 補足
   > 一進会と言うのは東学党の残党が作った集団で
   > 民衆の支持者がかなり多かった朝鮮の政治結社です。

   

   > celtscepticさん   回答日時:2013/12/27 22:23:50
   >
   > 孫引きで恐縮ですが、日韓歴史共同研究報告書(第1期)の第3分科(近現代)の
   > 日本側の学者、戸部良一の『朝鮮駐屯日本軍の実像:治安・防衛・帝国』という論文(↓)に、
   > 朝鮮駐箚軍司令部編「朝鮮暴徒討伐誌」(1913年)が引用されています。
   >
   > http://www.jkcf.or.jp/history_arch/first/3/08-0j_tobe_j.pdf
   >
   > 当時の日本から見れば“暴徒”、韓国から見れば“義兵”の死傷者等は、
   > 1906年から1911年までの間に 「死者17,779人、負傷者3,706人、捕虜2,139人」 だそうです。
   > (↑の論文のP395=9枚目)
   >
   > 村落の住民が“暴徒”を支持したり匿ったりした場合は、
   > 「 責を現犯の村邑に帰して誅戮を加え若くは全村を焼夷する等の処置を実行 」 し、と
   > 相当激しい鎮圧を行ったようです。
   > ( 「」内は、朝鮮暴徒討伐誌からの引用。 カタカナはひらがなに変えています。
   >  ↑の論文のP394=8枚目 )
   >
   > ただ、交戦回数は
   > 「 1907年(8月以降)323回、1908年1,451回、1909年898回、1910年147回、
   >  1911年(6月まで)33回」(↑の論文のP393=7枚目。元ネタは朝鮮暴徒討伐誌)と、
   > 1907年の高宗の退位と韓国軍の解散をきっかけに本格化した抵抗は、日韓併合前には
   > ほぼ鎮圧されてしまっており、更に
   > 「 併合の際に於ける韓国軍隊の処分に就ては特に周到の注意を加えたり。
   >  明治四十年八月韓国政府が地方駐屯の鎮衛隊全部及び侍衛隊の大部を
   >  解散するに方り、非常なる紛擾を生じ其の解散の命に服せずして強力を以って
   >  抵抗を試みたるものあり、また解散兵にして相率いて暴徒に投じたる者亦少なからず。
   >  之が為め施政上に多大の影響を及ぼしたることあり。」
   > ( 「韓国併合始末ノ件」国立公文書館アジア歴史資料センター
   >  レファレンスコードA04010229300よりの引用 )
   > と、日本側が高宗退位後の事態を繰り返さぬよう意識していた事もあり、
   > 併合後に大規模な抵抗はおきませんでした。(全く無かった訳では無いですが…)
   >
   > また、国立国会図書館のデジタル化資料にある
   > 「朝鮮最近史 : 附・韓国併合誌」 (戸叶薫雄, 楢崎観一著・蓬山堂・1912年)
   > には、高宗退位の時の投石などを伴うデモや
   > 韓国軍の兵士の日本の警察隊への発砲についても書かれています。
   > ( 第六章丁未の政変の“三、反対派の暴動” )

   

   > granzootさん   編集日時:2013/12/27 22:55:46
   >
   > 追記します。
   > 朝鮮暴徒討伐志については前にも書きましたけど根本的に読み方が間違ってるんです
   > 研究者の・・・・。
   > 暴徒と言うのが日本から見た物と言うのは誤解です。
   > そもそも当時は大韓帝国の独立を目指して総監府が指導してる
   > 或いはその前段階で条約を整備する際中と言う時期です。
   > 当然ですが法令は大韓帝国の政府の名義で出ています。
   > またこの記録の大半は大韓帝国になる前の段階での討伐で
   > 討伐自体は朝鮮王朝の要請で行われたものです。
   > つまり暴徒と見てたのは「朝鮮王朝の方」であって日本軍は朝鮮王朝から
   > 「暴徒鎮圧」を要請されて「鎮圧してるのです。
   > 当時の朝鮮にはまともな軍隊は存在しません。
   > ですから日本軍に要請が来るのです。
   > それを何か日本に対して反乱を起こしたかのごとく書くような言論には私は同意できないし
   > 間違ってると思うと言う事です。
   > 1980年前後に出た朝鮮史の本はこういう意図的な誘導を引き起こす記述がものすごく多い。

 はい、論破。



   [ 画像:Q1_2_義兵省略 (引用元アドレスをご参照ください)
   義兵


 もう一つ、「合意の形成」 を容易にしうる要因として、日本の段階的な主権侵奪によって、
 韓国政府の自由意思が制限されていたという問題が挙げられます。

 1904年に始まった日露戦争段階から、日本が大韓帝国の主権を順次奪っていきました。
 日露開戦直後、日本の内政干渉や軍事上必要な地点を収用することなどを定めた
 「日韓議定書」 を韓国政府に強要し、翌年の日露講和条約後、第2次 「日韓協約」 を結んで
 韓国の外交権を剥奪して日本の保護国としました。

 

 支那(清)の被支配階級に甘んじていた朝鮮国を、日本が日清戦争に打ち勝って独立させたのです。

   wikipedia「李氏朝鮮」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/李氏朝鮮

   > 1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる[1])が恭譲王を廃して、
   > 自ら高麗王に即位したことで成立した。
   > 李成桂は翌1393年に中国の明から
   > 権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。
   > 明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。
   > 中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は
   > 中国王朝の冊封体制下にあった。


   wikipedia「冊封」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/冊封

   > 冊封(さくほう)とは、称号・任命書・印章などの授受を媒介として
   > 「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ、名目的な君臣関係
   > (宗属関係/「宗主国」と「朝貢国」の関係)を伴う外交関係の一種。

   http://ja.wikipedia.org/wiki/冊封 - 1 概要

   > 冊封の原義は「冊(文書)を授けて封建する」と言う意味であり、封建とほぼ同義である。
   >
   > 冊封を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、
   > 中国皇帝と君臣関係を結ぶ。
   > この冊封によって中国皇帝の(形式的ではあるが)臣下となった君主の国のことを
   > 冊封国という。
   > このようにして成立した冊封関係では、一般に冊封国の君主号は
   > 一定の土地あるいは民族概念と結びついた「地域名(あるいは民族名)+爵号」という
   > 形式をとっており、このことは冊封が封建概念に基づいていることを示しているとともに、
   > これらの君主は冊封された領域内で基本的に自治あるいは自立を認められていたことを
   > 示している。
   > したがって冊封関係を結んだからといって冊封国がそのまま中国の領土となったと言う
   > 意味ではない。
   > 冊封国の君主の臣下たちはあくまで君主の臣下であって、中国皇帝とは関係を持たない。
   > 冊封関係はこの意味で外交関係であり、中華帝国を中心に外交秩序を形成するものであった。


   wikipedia「封建制」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/封建制 - 2 中国史における「封建制」

   > 中国王朝でおこなわれた封建制は君主が貴族に領域支配を認める制度。
   > 「分封建国」(ぶんぽうけんこく、領地を分けて国を建てること)から封建と呼ばれる[1]。
   > 同時に封建された貴族は君主の支配下に入る。
   > 後世に封建制の規範的時代とされた周代は都市国家の時代であり、
   > 周の王は大小の都市国家に対して支配権を及ぼしている長に対してこれを行った。
   > 一定の領地と結びついた爵位が授与され、引き換えに貢納や軍事奉仕などが要求された。

   wikipedia「下関条約」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/下関条約

   > 下関条約(しものせき じょうやく)正式名称・日清講和条約(にっしん こうわじょうやく)は、
   > 1895年4月17日に春帆楼(しゅんぱんろう)で締結された、日清戦争後の講和会議における
   > 条約である。

   wikipedia「下関条約」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/下関条約 - 1 条約概説

   > 主な内容
   >
   > ・ 清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、
   >  独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。
   >  (第一条)
   >
   > ・ 清国は、遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、
   >  兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。(第二条、第三条)
   >
   > ・ 清国は、賠償金2億テール[4]を日本に支払う。(第四条)
   >
   > ・ 割与された土地の住人は自由に所有不動産を売却して居住地を選択することができ、
   >  条約批准2年後も割与地に住んでいる住人は日本の都合で日本国民と見なすことができる。
   >  (第五条)
   >
   > ・ 清国は、沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放する。
   >  また清国は、日本に最恵国待遇を認める。(第六条)
   >
   > ・ 日本は3か月以内に清国領土内の日本軍を引き揚げる。(第七条)
   >
   > ・ 清国は日本軍による山東省威海衛の一時占領を認める。
   >  賠償金の支払いに不備があれば日本軍は引き揚げない。(第八条)
   >
   > ・ 清国にいる日本人俘虜を返還し、虐待もしくは処刑してはいけない。
   >  日本軍に協力した清国人にいかなる処刑もしてはいけないし、させてはいけない。(第九条)
   >
   > ・ 条約批准の日から戦闘を停止する。(第十条)
   >
   > ・ 条約は大日本国皇帝および大清国皇帝が批准し、
   >  批准は山東省芝罘で明治28年5月8日、すなわち光緒21年4月14日に交換される。
   >  (第十一条)
   >
   《中略》
   >
   > 影響
   >
   > ・ のちにロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉が起こった。
   >
   > ・ この条約によって李氏朝鮮は清の冊封体制から離脱して大韓帝国となり、
   >  第26代の高宗が中国皇帝の臣下を意味する「国王」の称号を廃して、
   >  はじめて皇帝と称することとなった[5]。

 その“韓国の外交権”は、日清戦争で日本政府から与えられた恩恵です。

 与えたからといって剥奪する権利はない、と言われればその通りかもしれませんが、日本が朝鮮半 島を併合すれば、日本式の資本主義経済と民主主義議会政治が持ち込まれて、両班と云う特権階級 が賤民(奴婢、白丁)を牛馬の如く扱き使って優雅に暮らす生活が破壊されることは明白でした ( さす がに民度が違い過ぎたので、実際に朝鮮半島で自治の為の議会が催されるのは後日に成りまし た )。 ですから、両班の中には特権階級の維持を求めてロシアに擦り寄る売国奴も少なからず居た のです。

 そうした状況下で、外交権を制限しないことは極めて危険です。

   YAHOO!知恵袋「日韓併合のウソ?ホント」
   http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n179395

   > 少なくとも、第一次日韓協約1904年8月が締結されるまで、
   > 日本は、朝鮮半島の独立体制を維持していたのです。
   > ところが、日露戦争当時、韓国皇帝高宗が保身のため、
   > 勝手にロシア側に付く姿勢を示すなど、韓国内の趨勢を無視して独断行動をとり、
   > 外交の基本を成していないと判断されたため、第一次日韓協約が締結されました。
   >
   > が、この時においても、大蔵省主税局長の目賀田種太郎が財務顧問に、
   > アメリカ駐日公使館顧問であったダーハム・ホワイト・スティーヴンス(Durham Stevens)が
   > 韓国外交顧問に就任しています。
   >
   > つまり、外交権を概ね抑えたのはこの時ですが、そのように間接的に誘導したのは、
   > 明らかにアメリカです。
   >
   > アメリカやイギリスの一番の希望は対ロシアの南下政策の実行阻止であり、
   > そのために、日露戦争も応援しているのに、韓国の馬鹿な皇帝が勝手な保身のために、
   > ロシアと通謀していたから、しかたなく、外交権も日本が握ることになったのです。
   >
   > しかも、まだ、この段階では、完全な外交権剥奪ではありません。
   > 外交の基本権は韓国に残されています。
   >
   > ところが、馬鹿な韓国皇帝が、再び、1905年(明治38年)3月26日韓国皇帝による
   > ロシア皇帝ニコライ2世宛の密書が発覚し、日本は、韓国は外交案件について
   > 日本政府と協議することを定めた同協約第3条を遵守する意志がないと考え、
   > 日本が韓国の外交権を完全に掌握できる協約の締結を要求するようになり、
   > ポーツマス条約調印後の1905年11月17日、日韓両国は第二次日韓協約を結んだのです。

 文句があるなら、被支配階級の命と引き換えに、特権階級の維持をロシアに求めた売国奴両班に言 いなさい。



 さらに1907年、韓国皇帝・高宗が第2次 「日韓協約」 締結の不法性を国際世論に訴えようと、
 オランダ・ハーグで行われていた国際会議に密使を派遣した、いわゆるハーグ密使事件を
 契機として、反日的な態度を示していた皇帝・高宗を譲位させ、病弱な純宗を即位させるとともに、
 第3次 「日韓協約」 を締結して韓国の内政権を奪い、日本人による統監府を中心とした
 韓国統治機構の再編を図りました。
 そうした日本による断続的な主権侵害の下で、
 はたして韓国政府が十全な自由意思をもちえたか否かを再検討する必要があります。

 

 そもそも日本が併合していなかったら朝鮮半島はどうなっていたのか。

 それを考えれば自由意思で協約を締結したかどうかなんてことは些末なことである。

 韓国政府が、というよりも売国奴両班が十全な自由意思を持っていたら、朝鮮半島がロシア軍に蹂 躙されて殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くされていただろう。

 ↓このサイトを一字一句噛み締めて読んで欲しい

   ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪  戦後のソ連の日本人虐殺を強く非難する
   http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html

 韓国政府が十全な自由意思をもちえて、両班と云う特権階級を剥奪するに違いない日本と手を切っ て南下するロシア軍を迎え入れていたとしたら、上のサイトに書かれた阿鼻叫喚の地獄絵が朝鮮人に 対して行われていたのである。

 日韓併合前の李氏朝鮮(大韓民国)は、奴隷制度を含む身分制度を持っていました。 当然の事な がら、 [ 政府の人間 ] = [ 支配者階級 ] でしたから、韓国政府が十全な自由意思を持ち得たなら、  身分制度の崩壊を阻んだに違いありません。 ではどうやったら身分制度の崩壊を阻めるでしょうか。  解答は明確にして明瞭です。
 韓国政府が十全な自由意思を持ち得なかったからこそ、今の朝鮮半島があるのです。

 そう考えれば、

 > はたして韓国政府が十全な自由意思をもちえたか否かを再検討する必要

 なんか無い事が理解できるでしょう。

 「 朝鮮人なんか日本に保護されることなく、南下するロシア軍に滅ぼされてしまえば良かったのに 」
 などと過激な考えをするのであれば、それはその通りなのですけれど。



 日韓交渉および日朝交渉において、韓国併合の不法性を指摘する日韓旧条約無効論が
 議論となりましたが、そのなかで焦点となったのが第2次「日韓協約」の有効性についてです。
 2000年を前後する時期に、日韓の歴史研究者間で、国際法学者を巻き込みながら
 第2次「日韓協約」の有効性に関する論争が、特に海野福寿氏と李泰鎮氏との間で行われました。

 そこでの論点は大きく分けて、
 @ 批准書の存否や主権委譲にかかわる手続きなどの条約の形式をめぐるものと、
 A 条約締結過程で日本が韓国側代表に対して加えた強迫などの行為を
   条約成立の阻害要件と見なすか否か、の2点でした。

 特にAは、ソウル中心部で日本軍が軍事演習を行って威嚇するなか、
 条約締結をリードした伊藤博文が軍事力の行使をちらつかせながら
 詐術的言動により条約を締結したもので、条約締結直後からその非を鳴らした義兵や
 愛国啓蒙運動などによる反日運動が繰り広げられることとなります。

 

 どんなに素晴らしい改善であっても、古い因習によって美味しい思いをしていた者にとっては利権の 簒奪でしかありません。

 そうした者達が反対勢力になるのは当たり前のことです。

 たとえば私は、親父が遺した資産がありますので、高齢者施設の事務員として働いて頂く給与以外に 収入があります。 高齢者施設の事務員として頂く給与は年収400万円程度ですが、その給与を丸々 使う生活よりも豊かな (といっても所謂裕福層の生活に遠く届きませんが) 生活をして、さらに貯金も 幾らか貯める余裕があります。
 もし、日本の政治形態が変わって、「たとえ一度引き継いだ物であっても、遺産は全て没収」という事 になるのであれば、私も抵抗勢力になって、新しい日本政府と闘うでしょう。

 朝鮮半島を併合した日本政府は、こんな風に朝鮮半島を変えました。

 

   【時事とコピペ】
   【コピペ】日韓併合 日本による朝鮮統治とその成果 [歴史コピペ【朝鮮編】]
   http://current-affair.blog.so-net.ne.jp/2008-06-27-1

   > 日本の韓国併合(1910年)以前については近代的統計がなく正確な分析は困難だが、
   > 18世紀から19世紀の朝鮮社会は、資本蓄積率が低く有力な産業が育たず、
   > 人口は停滞ないし減少し、80〜90%が農業に携わり、飢餓と貧困の支配する沈滞社会であった
   > と言える。
   >
   > この前近代的な半島に対する日本の統治は、西欧帝国主義諸国のような収奪型でなく、
   > 日本本土と同様な制度と社会基盤を整えることにより、半島を永久編入しようとするもの
   > であった。
   > 簡単に表現すれば官主導による急速な近代化であった。
   >
   > << 封建的諸制度、因習の廃止・禁止 >>
   >
   > ・ 身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止 (身分制度廃止令は併合前だが、実際は後)
   >  奴婢の解放 (人口の30%)
   >  両班の特権廃止
   >  女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)
   >  衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
   >
   > ・ 因習の廃止
   >  人身売買の禁止
   >  宦官(睾丸の腐割)の禁止
   >  纏足の禁止
   >  少女を妓生とすることを禁止
   >  呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)
   >
   >
   > << 近代的経済法制の導入 >>
   >
   > ・ 私有財産の保障(所有権制度の整備)
   > ・ 土地測量と地籍の確定 (墳墓など0.05%位が未申告地として残った)
   > ・ 近代的企業制度と商法の確立
   > ・ 通貨制度の整備
   > ・ 度量衡の統一
   >
   >
   > << 近代的社会制度の導入 >>
   >
   > ・ 罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)
   > ・ 残虐刑を廃止
   > ・ 行政の単位をそれまでの一族から、家族(氏)に規定(これが創氏の目的)
   > ・ 家長の権限を制限
   > ・ 地方の行政長や議員の選挙による選出
   >
   >
   > << 教育・医療の近代化と普及 >>
   >
   > ・ 小学校5,000校以上、大学など1000校以上を建設
   > ・ ハングルの整備と普及
   > ・ 西洋医学や衛生思想の普及、疫病の防除と罹患者の隔離、医療施設の整備
   >
   >
   > << 社会基盤の整備 >>
   >
   > ・ 道路、橋、鉄道(4000km)、港湾の整備、電源開発
   > ・ 治水事業による耕地拡大と農業の近代化
   > ・ 大規模な植林(6億本)
   >
   >
   > これらの諸政策の結果、次のよう成果があった。
   > ・ 1920・30年代GDP平均成長率4%(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)
   > ・ 1人当り国民所得が1910年の40ドルから倍増
   > ・ 日本資本の大量流入(統治期間総額で80億ドル)による通信、運輸、都市の発達
   > ・ 耕作地の拡大(246万町から449万町まで)
   > ・ 米の反当り収穫量が0.5石から1.5石まで3倍増
   > ・ 農産物、工業製品の輸出の急増 (内地で半島米の輸入反対運動が起こった程)
   > ・ 人口が1300万人から2600万人に増加
   > ・ 平均寿命が24歳から56歳に
   > ・ 識字率が61%を超えた(1944年時、併合時は4%程度と推定されている)
   >
   > 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   >
   > 尚、西欧宗主国は独立した植民地に残した資産を独立国に買い取らせている。
   > 日本は日韓条約で半島の資産(60兆円相当)を放棄し、更に8億ドルの経済援助を与えた。
   > (当時の韓国国家予算は、3.5億ドル)
   >
   > --------------------------------------------------------------------------

 もし、私が『YESロリータ,Noタッチ』を絶対遵守する紳士的ロリコンではなく、ガチのぺドフィリアであ ったなら、

 >  人身売買の禁止

 や

 >  少女を妓生とすることを禁止

 を命を賭してでも妨害したに違いありません。

 奴婢を働かせて自分は遊んで暮らしていた人は、

 >  奴婢の解放

 に抵抗したことでしょう。

   抵抗勢力があったのだから併合は望まれなかった

 のではありません。

   併合によって性的な愉しみや利権等が失われる層が抵抗勢力になった

 だけの話です。



 それが条約の無効原因となるかどうかはともかく、日韓歴史研究者間の論争でも、
 条約締結において強迫行為が行われたという歴史的事実の認定自体は一致しています。
 日本が軍事的示威を行使しながら韓国の主権侵奪を遂行していったことは、
 第2次「日韓協約」締結過程にもよく表れています。

 なお、「韓国併合」という呼称についてですが、日本では日韓併合、日韓合併などと呼ばれる
 こともあります。
 「併合」 という用語は、韓国併合当時、外務省政務局長だった倉知鉄吉によれば、
 「 韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となるの意を明らかにすると同時に、
  その語調の余りに過激ならざる文字を選ばんと欲し、種々苦慮したるも、
  遂に適当の文字を発見すること能わず。
  依て当時未だ一般に用いられ居らざる文字を選ぶ方得策と認め 」 て用いたものとされます
 (小松緑『朝鮮併合之裏面』)。

 
 実際には、韓国併合以前から「併合」という用語が史料上表れており、
 倉知の回想は実態に即してはいませんが、それはともかく、「併合」という用語は
 植民地化の本質を隠そうとする意図によって選択的に用いられたものと言うことができ、
 歴史学における概念としてきちんと検証する必要があります。

 

 だ〜か〜ら〜。

 併合前の朝鮮半島に“植民地”として活用するだけの価値なんか無かったんだっつーの。

   韓国併合は悪ではない 〜日本と朝鮮の公平な歴史認識〜
   http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/annexion.html

   《前略》
   >
   > そして、韓国併合は朝鮮の近代化におおいに役に立ち、朝鮮の発達には不可欠であった。
   > 何を日本がなしていったかというと身分差別の廃止、インフラ整備、教育の導入、
   > 近代医療設備、植林、農業改革など数えていけばきりがない。
   > 当時の欧米の植民地では搾取するだけ搾取して、まったくこのようなことはしなかった。
   > つまり、もし朝鮮が日本の手にではなく欧米列強の手に落ちていたら
   > 今現在のように経済の発達した国には残念ながらなっていない。
   > 英仏の支配した東南アジアやアフリカをみればその差はわかる。
   >
   > ここで朝鮮人のよく言う 「七奪」 を考えてみたい。
   > 「七奪」 とはすなわち国王・主権・土地・資源・国語・姓名・人命のことであるが、
   > これは事実無根のことである。
   > まず、国王は決して殺されていないどころかよい待遇で迎えられた。
   > 主権はもともと朝鮮は清の属国で
   > わざわざ日本が日清戦争で勝利し下関条約で朝鮮を清から独立させてあげたのに、
   > 日本についたり、ロシアについたり朝鮮の事大主義をとおしたままだったので
   > 主権ははじめから朝鮮にはなかった。
   > ないものを奪ったといわれても、ただ言いがかりとしかいいようはないだろう。
   >
   > 次に土地に関しては、韓国併合は合法的に行われてのであり世界の列強も承認している。
   > 韓国併合が違法だと朝鮮人が抗議するのであれば日本だけでなく、それを承認した
   > アメリカ・イギリス・フランス・ロシアなどには抗議する必要がある。
   > また土地調査事業で土地を収奪された農民がたくさんいたとするのは
   > 詭弁としか言いようがない。
   > なぜなら近代国家として成立するためには土地を調査し、
   > 土地所有者・価格・地形・地貌・坪数・地図作成を整理することは当たり前のことである。
   > また土地調査事業によって役人や地主の懐にしかはいらないような 「隠田」 が
   > たくさん発見された。
   > これにより不法な地主からの抗議は1920年までに2万148件が
   > 高等土地調査委員会が受理したが、農民が不法に追い出されたという事実はない。
   > また、
   > 「日本人が小高い丘に登ってあたりを見渡し、土地を指さして手当たり次第に良田を奪った」
   > という事実もない、この話は李氏朝鮮時代の両班(当時の特権階級のようなもの)のした
   > ことを日本に擦り付けているだけだ。
   > また、東洋拓殖株式会社(東拓)が不法に土地を奪ったということも
   > 事実に大きく反する歪曲されたものだ。
   > たしかに東拓は日本内地の農民を15回にわたって半島に招致し農地をあてがったが、
   > その農地は良田ではなく誰も耕さない荒地だったのである。
   > また東拓は
   > 「 土地調査事業の際に字をよめない人が多く、近代的土地所有の観念がなかったために
   >  朝鮮農民は土地の申告をしなかったので日本人地主の手に渡った 」
   > というがこれも詭弁いがいの何者でない。
   > まず土地の所有権はほぼ両班や地主の手にあり、字の読めない小作人の人々は
   > はじめから土地をもっていなかった。
   > また朝鮮総督府は東拓の土地買収をほとんど認めず、さらに駐屯土と呼ばれる
   > 国有地の処分についても東拓には認めなかったぐらいであり、東拓の移民事業は
   > 途中で挫折し、6000戸の入植を予定していたが朝鮮に定着したのは3883戸だけだった。
   > 東拓が買い上げた耕地面積はたったの4%で朝鮮の主張する50%ではない。
   > また日本人地主の評判としては
   > 「 よく改良された良質の堆肥を奨励し、化学肥料の配布や改良品種で
   >  農民の生活は向上し朝鮮人地主のように小作人をいじめることもなかった 」
   > という非常によいことがほとんどで、日本人地主が悪徳を働いたということはまず聞かない。
   >
   > また日本は治水事業の一環として植林事業をして、李氏朝鮮時代には禿山だった山が
   > 美しい山にもどったが、独立後に乱伐し燃料にしたのでもとの禿山にもどってしまった。
   > 日本統治時代には山に草木が多い茂り、山で兎を追いかけることができたという。
   > また堤防の整理などをして毎年のように洪水になっていたところから洪水がなくなり、
   > 「ベベーミ」 とよばれていた質の悪い水田が1等級の水田になったことも数多くあり、
   > 土地を奪ったというよりは、土地に大きな改善をもたらしたというしかいいようがない。
   >
   > 資源については、マグネサイト、ダングステン、モリブデン、金、鉄、石炭、黒鉛など
   > 種類は豊富だが、原油、白銀、水銀、硫黄など現代経済 (当時についてもほぼ同じ) に
   > 必要な資源はない。 つまりもともとたいした資源がないのである。
   > たしかに、日本と比べれば資源はあるのだが、資源の少ない日本と比べて
   > はじめてそれであり国家的には資源は少ないと言わざるを得ない。
   > そこで批判としては
   > 「 1910年の朝鮮人の鉱産額は全体の4.8%に対し日本人は22.6%、
   >  日本人以外の外国人は72.6%であったのに10年後には朝鮮人が全体の0.3%、
   >  日本人以外の外国人が19.6%で日本人は80%となっていて
   >  日本が鉱業生産を独占していた 」
   > と言う人もいるがこれもおかしい。
   > なぜなら、鉱山というものは巨額の資本投下が必要なので、この数字は
   > 日本企業の鉱業事業への進出を表しているだけなので略奪したわけではなく、
   > 鉱業生産の発展と貢献であると認識すべきである。
   > よってこれにより多くの技術開発・労働者の雇用がおこなわれたので
   > 朝鮮経済の発達や生活の改善に役立った。
   > また、鉱業の奨励金である増炭補充金は金だけでも1億5000万円から2億円の補充金が
   > 大蔵省から朝鮮半島に流れている。 つまり略奪どころか多額の援助をしていたのだ。
   >
   > 国語を奪ったというのも根も葉もない嘘である。 朝鮮語禁止という政策はとっていない。
   > ただ単に学校教育で日本語を国語として教えただけである。
   > 近代国家においては言語の統一は大事なことなので
   > 日本語として国内共通語を教えるのは当たり前のことで、
   > 学校では朝鮮語の授業もあったのでこれに文句をいうのなら、
   > 今現在英語を教えているので国語を取り上げられたと叫ぶのと同じである。
   > また朝鮮人がハングル (訓民正音) は世界一と叫んでいるが、
   > このハングルを普及させたのも日本である。
   > ハングルは世宗の時代 (1443年ごろ) に作られたものだが、当時の朝鮮人は
   > もっぱら中華文化に浸りっきりでハングルを使うものは愚民であるとして
   > 漢字ばかり使われていてハングルはまったく普及しなかった。
   > それどころか1897年まで公文書でさえもハングルを使わず漢字を使っているという
   > 有様であった。
   > ちなみに玄永燮(ヒョンヨンソブ)などの朝鮮人は 「朝鮮語の廃止」 などを求めたが、
   > 朝鮮総督の南次郎は断固拒否している。
   >
   > 姓名は1940年から始まった創始改名が有名であるが、
   > その創始改名は強制したものではない。
   > つまり、姓名を奪ったことなどないといえる。
   > 勅令第十九号附則第二項に「氏設定届」と定められているうえに、
   > 第二十号には裁判所の許可による「氏名変更」制度であるとなっているのだ。
   > ただ事実としてはマスコミの扇動によって人々が勘違いしたことはあったし、
   > 戦時体制であったので情報が伝わりにくいということもあった。
   > しかし、強制はしていないし当時の朝鮮人たちはほとんどが日本人になりたかったのである。
   > 当時の日本はアジアにおいて唯一の列強でありアジアの人々の憧れの的であった。
   > その証拠としてなんと80%の朝鮮人が日本人名を名乗ったのだ。
   > またこれは朝鮮人にのみ与えられた特権で台湾に対しては厳しい前提条件
   > ( 祖父の代から3代にわたって犯罪者がでていないことなど ) があり、
   > 台湾の人に改姓許可が下りたのはわずか1%前後だっということを考えれば、
   > いかに朝鮮人に特権があらえられていたかがわかろう。
   > また創始改名も李光珠など朝鮮人のほうからしてほしいと要請があったからこそしたのだ。
   > また創始改名によって女性に地位も改善された。
   > 朝鮮の習慣では女性には名前をつけるという習慣がなく、
   > 女性は差別された生活をさせられていたのだが、創始改名によって
   > 女性も名前をなのることができた。
   > ちなみに女性の再婚は朝鮮の習慣で禁止されていたが
   > 日本統治によって日本の民法が適用されるようになり、再婚できるようになった。
   >
   > 「七奪」 最後の生命であるが、これこそ南京大虐殺なみの模造である。
   > なんと日本の統治の36年の間に朝鮮の1000万人(1910年)だった人口は
   > 2400万人に増加し、平均寿命も24歳から45歳にのびたのである。
   > 土地整理などで農業を安定したものにし、近代医療設備を導入したからである。
   > 李氏朝鮮の時代では干ばつが482年間に89回、水害は339年間に24回、
   > 霜害は354年間に22回、雹害は474年間に18回と「朝鮮農業発達史」に記載されている。
   > 農業に直接大きな被害の発生件数が異常に多いのだ。
   > それにより飢饉が発生し、またそれが引き金となって疫病が蔓延するなど
   > 非常に死者数が多かったが日本統治以後にはただのいちどたりとも飢饉は発生していない。
   > 米の収穫量は1910年当時が約1千万石前後だったのが1928年には1700万石、
   > 33年には1900万石、のちには常に2000万石以上と米の大増産に成功している。
   > 大豆や雑穀は併合当初から60%も増加している。
   > 日本の近代医療設備の導入によりコレラ、天然痘、ペストなどの流行は
   > 1918〜1920年が最後となり、その後の乳児の死亡率が激減している。
   > つまり日本は命を奪ったのではなく、命を救ったのだ。
   >
   > 朝鮮人がよくいう日本の強制連行もこれまたでっちあげである。
   > たとえば、従軍慰安婦については日本の軍人が強引に女性をつれさったという証拠が
   > ひとつもない。
   > 韓国側の主張する証言は吉田証言と呼ばれるもので
   > この証言は本人が嘘であったとすでに述べている。
   > 樺太(サハリン)連行についてはソ連が樺太に侵攻してきたときに韓国人2万人を抑留し、
   > 労働力不足を補うために北朝鮮からソ連は2万人をおくらせたようだ。
   > つまり樺太連行はソ連がしたことであり、日本に抗議するのはお門違いはなはだしい。
   > ちなみにソ連のシベリアに30万人以上の人々が住んでいたが
   > スターリンはこれらの人々が日本に協力するのではないかと疑心暗鬼になり
   > 30万人の朝鮮人を中央アジアに強制移住させ、12万人以上が死んでいるが
   > このことに関しては朝鮮人は抗議しない。
   > また、在日朝鮮人は日本が強制連行したから存在すると朝鮮人は主張するが
   > これまたとんでもない詭弁である。
   > 韓国併合時にはすでに、朝鮮と内地で賃金格差があったので
   > 朝鮮人はこぞって日本に入ってきた。
   > 彼らのうちには勤勉な人もいたが、現在同様に犯罪者になる人があとをたたず、
   > また内地での失業者も増えたので中央政府は朝鮮総督府に
   > これ内地への朝鮮からの人の出入りを制限してほしい
   > と訴えたぐらいである。
   > そこで、厳しく規制したのだがそれでも内地への朝鮮人の流入は防げない状態だったのであ る。
   > つまり、日本が強制的に連行したのではなく、朝鮮人のほうから法律を犯してまでも
   > 強引に入ってきたのである
   > ( だからといって在日朝鮮人の方々全員が不法者たちの子孫というわけではない )。
   > 1940年に渡日した人数は119万人、45年には210万人となっている。
   > また徴兵されたのを強制連行ということも不可能である
   > なぜなら日本人として国民の義務を果たしただけであるからだ、
   > それどころか徴兵は朝鮮人のほうから
   > 朝鮮にも日本人同様に扱われるために徴兵してほしいという要請があったからこそ
   > したのである。
   >
   > 日本のもたらしたインフラ整備は朝鮮の近代化に絶対不可欠で、
   > なおさら朝鮮独自にはすることが不可能だった。
   > まず鉄道が京仁線と京畿線から始まり、1906年統監府に鉄道管理局が置かれ、
   > 約3500万円が投資された。
   > その後も鉄道事業は発展して併合時には鉄道の長さは1039.7キロメートルにおよび、
   > 1945年には6632キロの長さに拡大され、駅は762ヵ所、従業員数は10万527人に達した。
   > 客数は「朝鮮交通史」によると1910年は20万人だったのが、
   > 1944年には1億637万人となっていて、輸送量は1910年の90万トンから
   > 44年には国鉄3120万トン・私鉄550万トンと飛躍的に発達している。
   > 同様に道路も1928年までには1等17線3200キロ、2等79線494キロ、
   > 3等400線余り1万1429キロ、となっている。
   > 港は1944年までに通商港が14、指定港が38、関税指定港は9、地方港は326となっている。
   > そしてこれらインフラ整備にかかった費用は土木費合計約6億4000万円、
   > 道路・港・港湾修築費用約2億4110万円、鉄道建設改良費に21億8364万円もかかっている。
   > ちなみに当時の国家予算は20億円だったので以下に巨額の投資か見て取れよう。
   > いってみるならば日本のほうが朝鮮に搾取されたのだ。
   >
   《以下略》

 これだけ持ち出しで金が掛かる植民地があるだろうか。

 植民地であるなら、かつて白人が黒人やアジア人をそう扱ったように、朝鮮人を人間としてではなく牛 馬以下の労働力として扱えば良い。 絶対不可侵の特権階級として駐留する日本人の暮らしを贅沢に する以上のインフラ整備なんか要らない。
 ダムまで造って治水・発電して重工業地帯を整備する必要なんか微塵もない。 朝鮮半島は農業・畜 産業に必要な最低限のインフラに留めて、日本本土の東北地方に注力して太平洋工業ベルト地帯を 北へ伸ばすべきだったんだ。
 そうすれば、親や夫に売られて娼妓や慰安婦等の売春婦になる日本人の娘や妻は居なかったハズ だ。 小説『おしん』が書かれることもなく、2・26事件も起こらなかっただろう。

 にも拘らず、現実に日本は国家予算を遥かに超える巨額を朝鮮半島に投資して近代化させた。

 それはもちろん、ある側面に於いては、朝鮮半島をロシアの脅威に対する防波堤として整備したと捉 えることが出来るだろう。 しかし、その側面以上に、日本は欧米から奪い取った欧米の植民地を日本 の国土とし、その土地に住む者を日本人として扱った。 だからこそ、注力してインフラ整備を施して 「  日本列島の外に在るもう一つの“日本” 」 に仕上げたのである。

 それは、植民地では決してない。



 なお、韓国では「韓日合併」などが使われることもありますが、
 先に述べた日韓旧条約無効論の立場から 「強制占領」(強占)と呼ばれることが
 多くなっています。

 

 google検索「強制占領」
 

 あれ? 対馬の話じゃん(笑)。

 google検索「強占」
 

 こんなの出ましたけど。

   2013年08月18日 カイカイ反応通信
   韓国人「旭日昇天旗ではなく旭日旗、日帝時代ではなく日帝強占期」
   http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/31745147.html

   > 1. 韓国人(スレ主)
   >
   > 一般人もよく知る旭日昇天旗
   > 日本では旭日旗と呼ぶ
   > 韓国は旭日旗に「昇天」という良い意味の言葉をつけて呼んでいる
   > これは言い換えるなら、「チョッパリこの野郎」ではなく、「大日本帝国この野郎」と言うのと
   > 変わりない
   > だから、これからは「旭日旗」、あるいは「戦犯旗」としなければならない
   >
   > そしてもう一つ
   > お前らも多く使う「日帝時代」だ
   > 高麗時代、朝鮮時代、日帝時代
   > 普通の人なら、この三つを同一線上に置くことはできないだろう
   > それでも、多くの人が日帝時代という言葉を使いながら、まるで韓国の歴史の一部分のように
   > 当然の如く受け入れてる感がある
   > 日帝時代という言葉よりも、「日帝強制占領期間」、あるいは「国権侵奪期」という言葉を
   > 推奨する
   >
   > 終わり
 
   > 24. 韓国人
   > 日帝時代が適切だ
   > 強制占領期間?
   > 当時について、韓国人は大きな錯覚をしている
   > その中の一つは、当時の大韓帝国が民主主義国家だと思っていること
   > 大韓帝国は専制国家であり、国民らの国でなく李朝王室の国だ
   > 高宗がよく知る乙巳五賊のひとり、李完用に全権委任して、日本に国を売り
   > 純宗の時に併合される
   > 李完用が自主的に売ったのに強制占領期ってどういうこと?

 韓国人に論破されてますやんw





 参考文献

 海野福寿『韓国併合』岩波新書、1995年

 趙景達『近代朝鮮と日本』岩波新書、2012年

 趙景達編『近代日朝関係史』有志舎、2012年





    


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