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Q&A 4 日韓関係・植民地支配
 -2 戦前の朝鮮は日本の一地方に過ぎなかった? を斬らない

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=2573 ( 魚拓 )

 このページは、webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』が開 設された2013年08月01日時点で存在しなかったページです。

 いつ追加されたのか?は、サイト内に履歴が無いので分かりません。


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。




 【追加】 Q&A 4 日韓関係・植民地支配

 -2 戦前の朝鮮は日本の一地方に過ぎなかった?

 

 ごめん。 査読のつもりで5回も一字一句しっかりと読み通した(つもり)なんだけど、中の赤い人が何 を主張したいのか、さっぱり分からない。

 いや、ツッコミ処がないワケではないんだが、そもそも併合以前の朝鮮半島は凡そ途上国と呼ぶ事さ え憚られる程の未開の地であり、併合直後から本土(内地)と同様に扱うことなんか出来るわけがあり ません。

   日本併合前後の朝鮮の写真
   http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html


   国民が知らない反日の実態 ―― 日韓併合の真実
   http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/143.html


   日韓併合時代の真実 ―― 日本と朝鮮が手を取り合って生きた時代
   http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi02.htm



   1910年、朝鮮が植民地化された内的原因
   http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/18833/1/gd10-161.pdf

   > 2.大韓帝国の国力
   > 朝鮮時代の最後を飾った大韓帝国の国力はどの程度だったのか?
   > それは植民地化を阻止できない水準であったのか?
   > <表1>を通じて植民地に転落する直前の1900年頃の朝鮮の国力を
   > 日本、中国及びロシアなどと比較してみよう。
   > 経済的国力の基本指標は国内総生産(GDP)であり、これは人口数と1人当たり生産に
   > 分解される。
   > 近代経済の成立期における1人当たり生産を決定する基本要因は工業化の水準であり、
   > それは国内総生産中の工業の構成比で測定できる。

   <表1> 20世紀初めの朝鮮、日本、中国、ロシアの国力
  ┌──────┬──────┬──────┬───────┬──────┐
  │ 国  家 │ 朝  鮮 │ 日  本 │ 中   国 │ ロ シ ア │
  ├──────┼──────┼──────┼───────┼──────┤
  │人口数(万名)│ 1,700(1910)│ 4,410(1900)│ 40,000(1900)│12,450(1900)│
  ├──────┼──────┼──────┼───────┼──────┤
  │1人当たりGDP│  620(1900)│ 1,180(1900)│   545(1900)│ 1,237(1900)│
  ├──────┼──────┼──────┼───────┼──────┤
  │鉱工業構成比│  5.1(1911)│ 15.0(1904)│ 5.2(1880年代)│      │
  │工業 〃 (%) │  4.5( 〃 )│ 13.2( 〃 )│ 3.8(  〃  )│      │
  └──────┴──────┴──────┴───────┴──────┘
    出典:人口1人当たりGDPはMaddison(2003)。朝鮮の人口数は朴二澤(2008)。
      朝鮮の1人当たりGDPは車明洙(2006: 320)を參照して推定する。
      朝鮮の鉱工業構成比は金?年編(2006: 356)。
      日本の鉱工業構成比は大川一司・高松信C・山本有造(1974/1989: 202, 205)。
      中国の場合はFeuerwerker(1980:2)。

    1:市場上層はBraudel(1979)から借りた概念で、大都市市場と遠隔地流通を意味する。
    2:Acemoglu, Johnson & Robinson(2005)は大西洋沿岸国という地理的条件、
     そして非絶対主義国家という政治的条件が大西洋貿易の成長をもたらし、
     これがもたらした貿易利益、そして制度発展は1500〜1800年間
     西ヨーロッパの経済成長に主な役割をしたとみる。
     地理に規定された国際貿易が近代経済の形成に重要な役割をしたと見る点で、
     本稿と相通じるものがある
    3:車明洙(2006: 320)は1911年の1人当たり生産を1990 international Geary-Khamis dollarsで
     626ドルと推定したが、植民地化直後の1912-4年間の成長率が過度に高い6.1%で推計され た。
     そこで1911年の1人当たり生産推計が過小評価されたと見て、<表1>と<表3>の1人生産を
     推定した

    注:1人当たりGDPの単位は1990 international Geary-Khamis dollars。
      括弧の中は?度。

   > 1900年頃、日本の経済規模は朝鮮の5倍程度であった。そして工業構成比で見ると,
   > 両国は経済近代化の水準が違った。
   > 日清戦争が起きた頃、中国は1人当たりGDPや工業化水準で見ると
   > 朝鮮とほとんど差がなかった。
   > 中国の製造業は朝鮮と同じくほとんどが近代工業ではない手工業であった。
   > しかし、中国は人口が多かったために1900年頃には経済規模で日本を凌駕した。
   > 20世紀初め、帝政ロシアの産業総生産はアメリカ、ドイツ、イギリス、フランスに続き
   > 世界第5位であった。
   > ロシアでは綿工業と亜麻工業を中心とする大規模繊維工業だけでなく、
   > 石炭産業、銑鉄工業、鋼鉄工業などの重工業も存在した。
   > 日露戦争当時、日本とロシアは1人当たりGDPや工業化水準では似通っていたが
   > GDPの規模が戦争の勝敗を直ちに決定するわけではない。
   > 日本は自身より規模がはるかに大きい中国とロシアを次々に撃破したのである。
   > 中国は日本より工業化水準が低く、国家の資源動員力が落ちた。
   > 後で言及するが、中国の中央政府が活用できる財源は、かえって日本より小さかった。
   > そして日本は中国より軍事的準備ではるかに優れた力量を発揮した。
   > ロシアは国力の弱い日本に敗れた。
   > GDPの規模が戦争の勝敗を直ちに決定するわけではない
   > といっても、朝鮮は国力で周辺の中国、日本およびロシアにとうてい対抗することは
   > 出来なかった。

  <表2> 財政の比較     (単位:1,000円, %)
 ┌──┬───────┬─────┬────┬────┬────┬─────┬─────┐
 │  │ 年  度  │1890年代初│ 1896 │ 1900 │ 1904 │  1908  │  1910  │
 ├──┼───────┼─────┼────┼────┼────┼─────┼─────┤
 │朝鮮│歳入予算総計 │     │ 4809 │ 4807 │ 7017 │  23273 │  23766 │
 │  │歳入決算   │     │ 2469 │ 4609 │ 5601 │  11646 │     │
 │  │歳出予算総計 │     │ 6317 │ 4806 │ 7107 │  23353 │  23766 │
 │  │皇室費* 宮内府│     │   9.0│  10.6│  15.1│    6.4│    7.6│
 │  │外部     │     │   1. │   3.8│   2.0│     │     │
 │  │内府     │     │  23.2│  22.6│   7.3│   24.2│   29.0│
 │  │度 支部    │     │  32.0│  14.3│  19.3│   56.0│   52.8│
 │  │軍部     │     │  16.3│  26.6│  36.4│    1.3│     │
 │  │農商工部   │     │   2.9│   6.9│   0.4│    5. │    7.7│
 ├──┼───────┼─────┼────┼────┼────┼─────┼─────┤
 │日本│財政支出   │150000  │214900 │464700 │872400 │ 1072100 │ 1490800 │
 ├──┼───────┼─────┼────┼────┼────┼─────┼─────┤
 │中国│報告された歳入│115674  │    │    │    │     │     │
 │  │国家受取総計 │325000  │    │    │    │ 382520 │     │
 └──┴───────┴─────┴────┴────┴────┴─────┴─────┘
  注:朝鮮の財政は金載昊(1997:396-400、421-424)で再整理し、1904年以前の統計は
    日本円貨で換算。
    その換算率は呉斗煥(1991:215)で計算。
    日本の財政は江見康一・塩野谷祐(1976/1988:169)。
    中国の財政はFeuerwerker(1980:62-64;1984:300)で中国の両単位銀貨で出てきた数値を
    楊端六・侯厚培等(1931:151)、「第24表?十一年來海関兩与各国貨幣比價表」に基づいて
    日本円に換算。

 これを「同列に扱え」は無理です。

 ですから扱いが異なるのは至極当然。

 こんなモノは、たとえば、圭坊鉄工という町工場が松下電工に合併される際に 「 『松下圭坊電鉄工』 という社名にしろ 」 とか 「 社員の待遇を同一にしろ 」 とか そういうイチャモンを付けているのと何も 変わりません。

 確かに日本に併合を懇願した一進会の希望は、
 「 大日本帝国と大韓帝国が対等な立場で新たに一つの政府を作り、一つの大帝国を作る 」
 という提案でしたが、町工場“圭坊鉄工”と天下の“松下電工”の合併を例に挙げれば理解可能な様 に、そんな物は弱者の描く夢物語です。

 幾ら、巨大な大日本帝国を建立するためにアジアの広大な地域を日本本土として、そこに住む民を 日本国民として平等に扱うのだとしても、それは最終目標です。 併合するや否やインフラ整備はおろ か、新しく日本人となった国民に最低限の教育すら施していない段階でいきなり真正日本人として扱え るワケがありません。

 たとえば、今の日本でも未成年に選挙資格はありません。 選挙資格だけじゃない様々な制約が未 成年にあります。 その代わりに成年だったら課せられる他の制約が未成年には課せられません。
 未成年であるだけで、得られない権利がある反面、義務を逃れる権利を有しているのです。
 日本が1910年に併合して新生日本となった朝鮮半島および其処に住む新生日本人としての朝鮮人 に関しても同じ事です。
 “新生”だから“真正”とは少し扱いが違ったのです。
 十分なインフラが整備され、新生日本人全員に教育が行き届いた暁に、“新生日本人”は“真正日本 人”へクラスアップして内地の旧来日本人と全く同等に扱われた事でしょう。 ( しかし、その前に肝心の 日本が敗戦によって壊滅的なダメージを受けてしまい、“新生”を“真正”にするどころの話ではなくなっ てしまったのですが )

 要するに、引用元の
 「Q&A 4 日韓関係・植民地支配 -2 戦前の朝鮮は日本の一地方に過ぎなかった?」
 で中の人が 「 不当だ 」 と訴えている事は、日韓両国の時勢・国力比から考えて、子供が
 「 大人と同じ扱いじゃない 」
 と言って不貞腐れているのと何も変わりません。

 ですから、これは斬るに値しないページなのです ( 「 他のページは値するのか?」 と訊かれれば返 答に窮しますが )。

 というわけで、終わり。

 次行きましょう、次。





 『暗黒半島・李氏朝鮮@』宮脇淳子 AJER2012.12.20(3)
 http://youtu.be/n1JiT9pthh4
 480x360
 

 『暗黒半島・李氏朝鮮A』宮脇淳子 AJER2012.12.20(4)
 http://youtu.be/QPtwlT-K7uE
 480x360
 



    


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